ドリーム小説

「じゃあ休憩!解散!」

軍隊の様なカロルの掛け声に、仲間たちは大きく息を吐いた。
道中うっかりギガントと出くわしてしまい、なんとか退けたものの、誰からともなく休憩の二文字が出た。
各々思い思いに身体を休める中、が足音も無く場を離れていく。

「…どこ行くんだ?」

見逃さなかったユーリの問いに、はひらひらと手を振る。

「汚れちゃったから、川まで洗いに行こうかなって」
「あまり離れるなよ」
「すぐそこだから大丈夫」

その様子は特別変なところも無い。ユーリも手を振り返し見送ったが、内心、複雑だった。
の行動を誰も気に留めていない。いつも通りだと思っている。

だがユーリは、説明できない、妙な違和感を覚えていた。
今だけじゃない。ここのところ余所余所しく感じるのは、気のせいか。

「…おっさん、頼みがある」

のめり込むように地面にへばっている羽織に、ぶっきらぼうな声を落とした。



***



川辺に腰をおろしたは、無造作に袖をまくり上げた。

「…………っ」

二の腕が、赤黒く変色している。ギガントに蹴り飛ばされた際、木に叩きつけられてしまった。
骨に異常はないようだったから放っておいたが、改めて確認してみると、これはひどい。
だがやっかいな体質を抱えてる以上、エステルや仲間には頼れなかった。

「やーっぱり隠してたわね」

ため息をつき油断していたところに、突然響いた低い声。
跳ねるように振り返ると、不機嫌そうに口を尖らせたレイヴンがいた。

「おじさま…!」
「そういうこと、ちゃんと言わなきゃ駄目でしょ?」
「ご、ごめんなさい」

驚き謝っている間に、レイヴンはハンカチを懐から出し川に突っ込む。
すすぐ水音が荒い。相当怒っていると思ったのか、の背中がどんどん丸くなっていく。

「湿布作るから、もうちょっと我慢して」

怖がらせるのは、このくらいでいいか。
困ったように笑ってみせると、小さな口は微かにほっと息をついた。

甘えない。頼らない。見せない。
実は仲間内で一番頑固なのはだ。それをレイヴンは良く知っている。
だから彼女が頼ってくるのを待つより、こちらが気づいて手を差し伸べるほうが、何かと早い。

「湿布、作れるんですか?」
「簡易的かつ原始的なモンだけどね。効果は折り紙つきよ」
「す、すごい」

そうこうしてる間に、布きれに何枚も葉っぱが張り付けられていく。
何がどうなっているのか、にはさっぱり分からない。

「…ちゃんに治癒術は厳禁だから、素直に頼れないのはわかるけどさ。
 せめて俺には甘えてよ。それが約束でしょ?」
「…はい……」

普段飄々とした人に、落ち着いたトーンで諭されると、申し訳なさが人一倍だ。
手作りの湿布が、優しく押し付けられる。
冷たい。染みる。けど、腕が軽くなった気がした。

「ありがとうございます……」
「いえいえ、どういたしまして。ちゃんのためならお安いご用よ」
「本当ですか?また、そんなこと言って」
「あら、おっさんの愛が信じられないって言うの?」

最年長のはずなのに、拗ねた顔はまるでこどもだ。
怪我で強張っていた身体の力がぬけたのか、はふにゃりと相好を崩した。

「言っとくけど、ちゃんが思ってる以上にちゃんを愛してるぜ?」
「はい。私もおじさまのこと大好きです」
「あらー!おれたちってば両想い?!もー青年なんかやめて、おっさんの奥さんになってよー!」

怪我に障らぬようぎゅうぎゅうと白い頭を抱きしめるレイヴン。
いつも仲間から抱き枕扱いされているせいか、慣れた様子ではのほほんと笑っている。

「私、ユーリの奥さんじゃないですよ」
「えー。事実婚みたいなもんじゃん。青年が羨ましいったらないわ」

だが久しく感じるぬくもりに、何を思ったのか。
細い腕に、微かに、力が籠った。

ちゃん?」

弱々しくも、服にしがみつく指に、心臓がざわめく。
ちいさな背中に回していた手を、肩に回す。

ちゃん」

名前を呼ぶ一言に、どれだけの意味を込めたか。
だがはっきりした言葉でない以上、相手に届くものは、多く無い。

「私……次の町で皆から離れます。もう、目的は、達成できたから」

レイヴンの知るは、いつも穏やかな笑顔を浮かべている。
だが今は、俯いたまま顔を上げない。いつも通り笑っているのか、それとも。

「…いいの?青年の無茶が心配でついてきたんでしょ?」
「私がいなくても、みんながいるから」

ユーリが皆を守るように、皆もユーリを守ってくれる。支えている。
の旅の目的は、とうに終わりを迎えていたのだ。
だがレイヴンは納得できなかった。あらかじめ聞いていたことだけれど、それでも。

「ねえちゃん。リタっちなら、病気のことわかるかもよ」

エアルに長けた研究者なら、未知の病魔を追い払えるかもしれない。
だいたい、彼女は自分を過小評価している。でなければ、駄目なのだ。それは特別な想いを抱く
ユーリに限った話ではない。レイヴンも、他のみんなも、がいなくなるのは寂しい。
だが知ってか知らずか、当の本人はゆるゆると首を振った。

「…それはできません。エステルのことだけに集中してほしいから」

か細くも頑固な意思がそこにあった。
の考えることは、最初から変わらない。
もはや終わりと隣り合わせの自分よりも、優しい仲間が穏やかに暮らせること。それだけが望みだった。

「…ホントに、誰にも言わないで行くの?みんな…悲しむよ」
「今は余計なこと持ち出したくないんです。頼ってほしいから、甘えたくない」

生真面目ならしくない、跳ねのけるような言い方。
目的は変わらずとも、同時に同じくらい膨らんでしまった希望も、抱えてしまったのだろう。
少なくともレイヴンの前で平静な顔を作れない程には、追い詰められている。

「本当は…嫌です。死にたくない。けど、こんな病気、どうしようもないから」

影の差した虚ろな目は誰かに似ていた。思い出す前に、レイヴンはこぶしを握る。
奇病に蝕まれた絶望の中では、状況が好転する可能性は限りなく少ない。
自分の意思を出したって、素直になったってどうしようもない。
なら、希望など最初から無かったのだと。未来のことなど口にしないほうが自分を保てる。
…気持ちは、痛いほどわかるけど。

ちゃん」

かつて血を吐いても笑っていた、弱音など吐いたことのないが、震えている。
事情を知る自分にだけ唯一見せる、むき出しの気持ち。そっと腕に閉じ込めると、彼女の身体が少し強張った。
ああ。わかっている。が本当に求めるぬくもりは、別にある。

「おじ、さま」
「………」

本当にこの子を助けられないのか。
自分の偶然持ち得てしまった命を、この子に分けてあげられないか。
けれど肝心の彼女自身はそれを望んでいない。自分に割く時間など無駄だと割り切っている。
ああ、ほだされているなぁ。頭の片隅で感じるも、どうでもよかった。

ちゃんは我慢強いね。……おっさんは、ちょっとさみしいかな。
 ユーリの横で笑ってる君が一番可愛いって知ってるから、なおさらね」

白い頭を優しく撫でる。は羽織に顔を埋め、息を殺した。

「………私じゃ……ずっと、支えて…あげられない……私じゃダメなんです…………」

こうやって弱音を吐けるのも、偶然病気を垣間見られてしまったから。
その偶然がなければ誰にも知らせることなく、全てを伏せて消えるつもりだったのだろう。
弱っている彼女を引き出せたのは、果たして幸か不幸か。

想い人には見せられない想いを、姿を、レイヴンだけが知っている。これも神さまの悪戯だろうか。

「…ごめんなさい……もうすこしだけ……」
「……ん。いいよ。大丈夫。」

可哀相、とは思わない。がそう思っていないから。
ただ、本心は生きることを望んでいるのにそれを表には出せない、それは、皮肉に感じられた。

    そしては知らない、もうひとつの皮肉。
無表情で「を頼む」と頼んできた、青年。本当は自分が行きたいのに、そうはできないジレンマ。

なあ、あいつ何を隠してるんだ?

自信家の彼が見せた、頼りなさげな瞳。
なんで俺に聞くの。本人に聞けばいいじゃない。
そう答えると、くしゃりと、少年のような顔をした。

俺が聞いたって答えねえよ。甘えさせるばっかで、甘えてくれないからな。

ユーリが見るに、レイヴンにだけは素直なんだそうだ。
レイヴンだけがの秘密を知っている。それ故の親近感、というだけなのだが、ユーリが知る由も無い。
彼の中にはただただ焦燥感だけが渦巻いているのだろう。
誰にも取られなくない。その願いは飲み込んで、彼もまた、彼女のことを優先する。

………おっさんになら話すかもしれねぇ。アイツを頼む。

の数少ない望みは、何だって叶えたい。が自分を望んでいないのなら。それが、のために、なるのなら。
好きな女の子を他の男に託す悔しさは如何程か。ユーリの願いにレイヴンは「わかった」とだけ言った。

2人とも誰よりもお互いのことを案じているのに、なのに、優しさが噛み合わない。

隣に並ぶのが自分じゃなくてもいい。
心穏やかであることを。笑顔でいられることを。それだけを願って、手を離す。
腕の中で小さくなるも。
背中を向けたユーリも。
あともう一歩、互いの領域に踏み出せたなら。

(なら、俺もちゃんの望みを優先しようか)

一度だけ。彼に、本当のを託そう。それで叶わなかったら、空まで連れて行く。
ユーリの危惧は当たっている。このぬくもりを手放したくないのは、彼だけじゃない。
欲しいものは手を伸ばさなければ届かないのだから。


…さあ、彼女はどっちを選ぶだろう。