ドリーム小説


女心、男心というのは難しい。
他人から見て好き合っているのがはっきり分かっていても、当人たちにはたくさんの壁が存在する。
くだらないものから、大切なことまで。
全てを杞憂と片付けるのは、あまりに乱暴だ。

「……あっ」

ドアを盾にして顔を覗かせた少女は、店内を見るや否や、縮こまってしまった。
私しかいないと思っていたようだが、残念ながら、カウンターに先客がいる。

「…、こっちこい」
「…………」

彼の顔を見れば一目散に駆け寄ってくる子が、隠れている。
真っ先に違和感を感じ取ったユーリは、渋い顔で手招きした。

「……怒らない?」
「怒るようなもんじゃなけりゃな」
「うっ………」

人を食ったように皮肉を吐く普段の姿は、どこへやら。
ユーリはこの少女のことになると、人が変わったように素直になる。

、観念なさい」

勘の鋭い保護者を誤魔化せやしないのだ。
苦笑いしている私を見て味方はいないと悟ったのか、はそろそろとドアから顔を出した。
    目に飛び込んできたのは、白い頬に走る、刃で切ったような鋭い赤い線。
昼下がりの箒星が、一気に剣呑な空気になる。

「…何があった?」
「酒場で喧嘩があって、割れた瓶よけれなくて……」

誰だ昼間っから飲んでるのは。

…ああ、唸るような声が聞こえる。
彼らに同情の余地は無いが、ユーリを敵に回したことを憐れに思わなくもない。

「だ、大丈夫。2人とも反省してるし」

怒気を感じたは必死に当事者たちを庇うが、そうじゃない、反省の有無などどうでもいいのだ。
に、しかも顔に傷をつけた。理由はそれだけで十分。
はあぁ。長い溜息を吐く青年を前に、少女はしょんぼりと項垂れる。

「…あの……」
「おかみさん、救急箱」
「はいはい」

そんなの腕を掴み、強引にカウンターに座らせるユーリ。
愛らしい容姿に、不釣合いな怪我。間近で見ると、本当に、痛々しい。

「でも、お店じゃ……」
「いいよ。今は客いないしね」

飲食店では具合が悪いと戸惑うに、問題無いと手を振ってみせる。
おおかた救急箱だけ借りて自分でどうにかするつもりだったのだろうけど、そうは問屋がおろさない。
ユーリほどで無いにしろ、こちらも心穏やかではないのだ。

「くそ、俺の大切なモンに傷をつけやがって……」

それは誰に向けた愚痴なのか。さらりと出た低い独り言に、は見るからに固まった。
彼女の何かを撃ち落としたことも知らずに、ユーリは怪我に触れないよう頬に手を添える。
壊れ物を扱うように薄い線をなぞる姿は、保護者か、はたまた。

?」
「い、いえ…なんでもないです……」

爆弾発言に加え、まるで恋人を扱うような仕草に、の目が泳ぐ。

「……まさか、他にも怪我してないだろうな?」
「きゃあっ!だ、大丈夫!本当に大丈夫だから!」
「コラ!女の子に何してんだい!」

おもむろに合わせを引っ張る唐変木の頭を慌ててひっぱたく。
心配なのはわかるが、いきなり服を剥ぐなんて無粋にも程がある。

「今更だろ…」
「あんたはほんっとうに、どうしようもないバカだね!」

看病していた時に幾度となく見ていると言いたいのだろうが、そういう問題じゃない。
非常事態だったからも許容できたのであって、平常時に平気でいられるわけがない。
それに、今は昼と夕方の狭間。混み合う時間帯では無いとはいえ、いつ客が来てもおかしくないのだ。

「チビちゃんの気持ちになって考えなさい!誰か見てたらどうするの!」
「……あ、ああ。悪い、
「ううん…こっちこそ、大きな声出してごめんなさい。心配してくれて、ありがとう」

半裸にされかけたというのに、は何事もなかったように笑う。
…怒ればいいのに、そうやって甘やかすから暴走が止まらない。

「俺たちの部屋なら平気だろ。あとでチェックするぞ」
「……………………。」

…恋は盲目と、よく言ったものだ。
今のところ同居ということらしいが……同棲になるのも時間の問題か。

「……早く手当てしてあげなさい」

には悪いが、助け舟は出してあげられない。この際くっついてくれるのなら何でもアリだ。
ユーリも家庭を持てばきっと落ち着く。無茶をすることも、少なくなるだろうから。

「うっ…」
「ガマンしろ」

丁寧に消毒液をつけていく慎重さとは反対に、横顔は不貞腐れている。
…いつもは憎たらしいほどのらりくらりとしているクセに。いつの間に、こんなに感情をむき出しにするようになったのか。
甘えたり、困らせたり。付き合いの長い私たちですらあまり見たことの無い姿を、最近よく見れるようになった。

「可愛い顔してるんだから大事にしろ、バカ」
「…………っ」
「あ、コラ。よけるな」
「……うう………」

ユーリが外で何をしていようと、は笑顔でひたすら待っている。
ご飯、風呂、暖かい寝床を用意して、笑顔で迎え入れる。
帰る場所に、ぬくもりがある。その大切さは、既婚者の私はよく知っているつもりだ。
今のユーリは、良くも悪くものおかげだろう。

「そんな…珍しいものじゃないよ……」

反論とも呼べない小さな声が否定する。
ユーリがこうなってしまったのは彼女の影響なのだから、ついてきた副産物も受け止めて欲しいのだが。

「……あのな。誰にだって、言ってるわけじゃねえよ」
「うん、ユーリはそういう冗談言わないって知ってる。
 ありがとう…ユーリに可愛いって言ってもらえるのが、一番うれしい」

しかし鈍感具合はも負けていない。ユーリのことを意識しているのは間違いないが、謙虚なのか卑屈なのか、
自分が愛されるという可能性を無意識に排除してしまっている。
拾われた経緯や今の微妙な立場から遠慮が出てしまうのは仕方の無いことだが、勿体無いとも思う。
少し顔を上げれば、甘い愛情がすぐ傍にあるのに。

「ユーリ。急ぐ必要はないけど、ゆっくりもしてられないわよ」

窓の外を目で指し、止まっている手元を促す。
働き者のチビちゃんは下町で可愛がられている。怪我をしたと知れば大なり小なり騒ぎになるだろう。

「………わかってるよ」

憮然とした一瞥を寄越し、救急箱に手を突っ込む。
思ったように伝わらないもどかしさに同情はあれど、私からすれば惚気と一緒だ。
続きは見えないところでやってほしい。

「ごめんなさい……手間かけちゃって……」
「怪我は歓迎できねぇけど、お前の世話焼くのは好きだから気にすんな」
「…私は…これ以上、迷惑かけたくないな……」

俯くの頭をユーリは梳くように撫でる。
優しく傷用テープを貼り、そのまま白い頬に指を滑らせた。

「たまには甘えろよ、お嬢さん?」

は頷かない。ただ、恥ずかしそうにますます顔を伏せた。
何とも言えない雰囲気に、私はここで手当てさせたことを後悔し始めていた。
ああ、窓越しに客が引き返していくのが見える。
その中には青い尻尾もあった。これで何回目だろう。数える気も起きない。
立派な営業妨害だが、しかし、若い2人の邪魔は馬に蹴られろとも言う。

さて、この無自覚たちをどうしようか。