ドリーム小説


おっさんが帰ってきた。

まだ自分のことを軽く捉えている節があるが、レイヴンの中に強い生命力があったから
絶望的な状況から這い上がれたのだ。彼の言う「死人」にできることではない。
俺ですら素直に嬉しいのだから、誰よりもレイヴンを気にしていたにとっては何よりの朗報だろう。

    だが、2人を会わせたいかと問われれば、我儘な気持ちが滲む。

仲間に一通り歓迎された後、おっさんの視線は右に左にと忙しなく動いていた。
素直に教える気にはなれず、目が合った瞬間睨み付ける。
俺の好きな女を利用し、挙句道連れにしようとした行為を、簡単に許せるはずも無く。
八つ当たりよろしくさらにガンを飛ばすと、「ひいぃ」と肩を跳ね上げる。

「あの、さ」

俺の機嫌を窺うような上目使いが気に食わない。
モジモジするなっての。男だろ。大人だろ。腹が立つ。
三十路超えた男にそんな仕草されたって気持ち悪いだけだ。

「……ちゃん、元気?」

…だから、大人だろ。言葉選ぶにしたって、もっと他になかったのか。
大げさにため息をついてみせると、あぁごめんおっさんなんかがごめんねと鬱陶しいので、
とりあえず2発目を腹に入れておく。

「た、大将……もうちょっと、手加減して、くれんかね」
「今のはの分だ」
「う、ういっす…」

どうせは殴りやしない。おっさんの無事を知れば泣いて喜ぶだろう。

気に入らない。病気のことを知っていた唯一の存在とはいえ。
おっさんには頼って、甘えて。俺には見せない顔を見せて。
俺より、おっさんのほうを向いていた。これが悔しさを感じずにいられるか。
…彼のおかげで、結果的にを独りにさせずに済んだのだとしても。
あんな思いは、二度とごめんだ。


「子どもか君は」
「チッ…」
「ああいや、ほら、でも、ちゃんプロポーズ受けたんでしょ?ユーリまだ指輪してるし……」

いや、それは…。傍にいた幼馴染が気まずそうに視線を泳がせる。
そうだよ。地雷だよ。このおっさんは俺を怒らせるのが上手いらしい。

「断られた」
「へっ?」
「指輪も返された。今はフレンが持ってる。もう一度言ったけど、どうだろうな。
 どこまで通じてんのか疑わしいもんだ」
「…どうしてそう卑屈なんだ」
「フ、フレンちゃん…その辺にしといてあげて……」

ダメ押しとフォローが、耳に痛い。

「…すまんかったね。ちゃんに頼まれたとはいえ、色々内緒にしちゃってさ」

どうせのことだ。自分を使い捨てる気だったのだろう。
そうだな、そんなこと、俺だったら許さない。
でもおっさんは。そんなの気持ちを受け入れた。だから彼女は幾分か素直になれた。

「あんたがバラしてくれたおかげでは助かる。…そこだけは感謝してるよ」
「………そうかい」
「……おっさんは………なんで、だったんだ?」

俺を怒らせ、剣を向けさせるため。それもあるだろうけど。
それにしては、随分回りくどいことばかりしている。
わざわざ酒を飲ませて俺にけしかけたり。町を離れてからを捕まえたり。
効率的な方法なんて、いくらでもあっただろうに。

「………なんで、だろうね」

潮風が、レイヴンの髪を撫でる。

「俺にも分かんないわ。ちゃん連れて行かなくても、死ねただろうし」

そして笑う。以前よりも幾分穏やかに。

「恋愛感情じゃないから安心してちょーだい。そりゃ、俺のお嫁さんになってくれたらすっげえ嬉しいけど。
 残念ながらちゃんはどっかの青年にぞっこんだし」

のことを頼む。かつてそう言ったのは、紛れもなく俺だ。
あの時の焦げつくような感情は一生忘れないだろう。
そうやっての気持ちを優先した結果、危うく死に別れになるところだったことも。

「ぞっこん、ね……それで指輪突き返されたんじゃ、立つ瀬ねぇな」
「随分ユーリのことで悩んでたからね。その反動でちょっぴり素っ気なくなってたかもしんないけどさ。
 それだけお前さんに入れ込んでるんだよ。…大目に見てやってくんないかな」

あんなにぐしゃぐしゃ泣きながら「家族になりたい」と言ってくれた彼女。
失うかもしれない。その恐怖からなりふり構ってられず正面からぶつかって、ようやく聞けた本音。
けれどそれでも「治ったら」なんて、余計なひと言が付いてきた。
おまけに以前の告白が微妙に通じてないときたもんだ。
が俺のことを想ってくれていて、それ故に、素直になれないのだとしたら。
……それが彼女の愛情だと言うのなら。俺は。

「…俺に、どこまでできるだろうな」

異世界。体質。願い。こんなことになるまで何一つ知り得ず、俺は未来を語っていた。
話したがらない過去を掘り返すより、先の話のほうが楽しいだろうと。それしか考えていなかった。
笑っていてほしかったんだ。あいつの笑顔は。誰よりも可愛いから。
絶えず笑わせることができたなら、凄惨な過去も吹き飛ばせると、信じていた。

自分の力不足が憎い。
こんなことになるまで彼女は自分を押し込めていた。
苦しんでいたのに、助けてやれなかった。

「助ける側が辛気臭い顔しないでくれないか。士気に関わる」

はあ。堅物が呆れたように息を吐く。
…ああそうだよ。俺はのことに関してはからっきし自信は無いし卑屈だ。
俺の見ていると、仲間が知っているは、随分違うから。

「ご忠告どうも。心配しなくてもカロルたちには見せねぇよ」
「……カロルもリタもパティもジュディスも、エステリーゼ様も、馬鹿じゃない。
 君の痩せ我慢に本気で騙されると思っているのか」

次々と吐かれる毒舌に、ただえさえ穏やかではない胸中がざわつく。
何もかも見抜いているようなセリフが気に入らない。

「相っ変わらず良い性格してんのな。辛気臭い顔するなっつったのはどこのどいつだよ」
「見苦しいと言ったんだけど通じなかったかな。に甘えてほしいなら、まず君から率先するべきだろう」
「ちょ、ちょ、2人ともタンマ!こんなところで喧嘩しちゃダメだって!」
「これ以上カッコ悪いところ晒せって?…面白くねぇ冗談だ」
「…付き合いの浅い僕ですら分かることを、どうして君は気付けない?」
「お願いだからちょっと落ち着こう?ね?ね?」
「おっさん五月蠅い」
「申し訳ありませんシュヴァーン隊長。ここは引けません」
「もうヤダ!おっさん面倒見きれないわ!」

何なんだ。おっさんもフレンも、仲間も。俺の知らないことばかり知っていて。
俺はどうすれば。の内側に踏み込める?
今だって焦りばかりが積もって、頭が沸騰しそうなのに。

「俺に遠慮してばっかのアイツが、ホントにみんなの言うようなこと思ってんのか……
 信じたくても、信じられねぇよ」

口に出すと認めるようで嫌だった。
指輪が返ってきたショックは、思った以上にデカい。

「それを……その不安を、彼女に話したか?」

だからもうカッコ悪いとこ見せられないって言ってんだろ。
アイツは良くも悪くも俺を優先する癖がある。病気が分かった今、もう無理はさせたくない。
ふいっと顔を逸らすと、突然、胸倉を掴まれた。

「なんで君はそうやって何でも一人で抱え込もうとするんだ…!
 寧ろそういうことをしているから
 の無茶が悪化しているんじゃないか!
 くだらないプライドなんて捨てろ!失ってからじゃ遅いんだ!」

そのまま乱暴に突き飛ばされるが、一瞬近くなった青い瞳が。あの目に映った俺の顔が、頭にこびり付く。
フレンの瞳の中に居た俺は、子どもみたいに寂しそうな顔をしていた。
こんなものを。に見せろと?

「格好悪くても情けなくても真摯な言葉なら必ず届く!……必ずだ!」
「…………………っ」

失いたくない。守りたい。けれど彼女自身がそれを望んでいない。そう、分かった時。
順序や段階なんて考えられず、懇願するようにぶつけた。結婚してくれ、と。
今まで何をしても思うような反応が無かったから、そう、もう、なりふり構ってられなくて。
きっと今のように情けない面ぶら下げた、何の捻りも無いプロポーズだったのに。

そんな俺に、は初めて未来のことを口にした。

「横からごめんよ。…おっさんもフレンちゃんに賛成。気を使うのは悪くないけどね。
 シュヴァーンに言ったみたいにさ、ああいう直球のほうが女の子は嬉しいんじゃない?」
「あのが今さら君に幻滅なんかするわけない。……ちょっと素っ気ないくらいが何だ。
 本当に何も感じていないのかどうかなんて、聞いてみなきゃわからないだろ」

ふいにフレンが拳を掲げる。俺はなんとなく、手のひらを出した。
むすっとした顔のまま、彼は手に手を重ねる。
俺たちの間に、固い感触がある。これは。

「落し物だ。持ち主に返しておいてくれ」
「…落し物、ね」

太陽の光を遮っていた固い手が離れると、小さな指輪がキラリと光った。

下町にいた頃に買った、安い代物。
ずっと裸で持っていたせいか、少し擦れた跡が何か所かある。
でも『持ち主』の元に戻ればきっと、傷なんてものともせず輝くだろう。

だ。自分の殻に引きこもって勝手に可能性を潰して。
 しかもユーリを甘やかすだけ甘やかして消えようなんて、都合が良すぎる」
「………フレンちゃん。なーんか機嫌悪くない?」
「…何かあったのか」
「別に。…君を見てるとイライラするだけだ」
「ははぁ、さては同族嫌悪ってところか」
「うるさい」

ちょっとしたことで幼馴染の気持ちを見透かすくらい、俺にだってできるさ。
指輪を強く握り、もう一度感触を確かめる。
レイヴンが渇望した安寧。が懐抱する慕情。
エステルが、仲間が望む平穏。
たくさんの思いが絡まり重なり合って、今がある。

「ま、八つ当たりは親衛隊にしてくれ。俺もが世話になったしな。思いっきりやらせてもらうさ」

がテルカ・リュミレースに落ちたのは、騎士団の研究が原因だという。
……守秘外の研究なんて、そうそう行えるものではない。その裏にいるのは、恐らくあの男だろう。

騎士団長アレクセイ。

「不要になった剣が今になって転がり込んでくるとは」そうぼやいていた。宙の戒典を欲しがっていた節がある。
エステルの満月の子の力を利用しているのも、この剣の代替えといったところか。
何をするつもりかは知らないが。そうそう好きにさせてたまるか。

ひとりはギルドのために。ギルドはひとりのために。
それぞれの願いを最善とするために、信じて進む。それが今の俺にできること。

「へ?ちゃん、親衛隊と何か関係あんの?」
「シュ…レイヴンさんは、知らずにを攫ったんですか?」
「え?え?なんのこと?」

今さらレイヴンが嘘をつく理由もない。本当に何も知らないのだろう。
フレン曰く極秘だったという研究を、騎士全員が周知しているわけではないようだ。

「フレン。研究のことで、今話せることあるか?」

フレンの顔が引き締まったものになる。
空の上では、心身ともに弱ったがいた。
意図的に肝心なところをぼかしたことは、なんとなくわかっていた。

「……君の予想通りだ。弱ってる子に聞かせる話じゃないからね」

そう言って、少しだけ微笑んで。
また、きゅっと唇を結ぶ。

の適応障害は騎士団…アレクセイの研究対象、だったんです。それも相当内密の……」

ひゅっ。おっさんの喉が鳴る。
とは言っても、とフレンは続けた。

「君たちが部屋に入っている間にリタたちにも話したが、あまり深い部分までは知らないんだ。
 研究記録や資料はほとんどが焼けてしまって、調べようがなくてね」
「……。…ああ……その話、うっすら聞いたことあるわ。その時どういう実験かは知らなかったけど……
 実験体がダメになったとかで、結局研究は頓挫しちゃったのよね」

彼の言葉を思わず頭の中で反芻する。嫌な汗が、背中を流れた。

「…おい、待て。実験体って、どういうことだ」

フレンの言う、適応障害の研究というのは。
本や公式と向き合う、リタのようなやり方じゃないのか。

「適応障害の体質を利用する実験が、繰り返されていたんだ。
 ……研究の最終目的は、人工的に聖核を生産すること。恐らく軍事利用を考えていたんだろう」

フレンの苦い顔が、言葉に重みを持たせる。

「エアルを体内に溜める…これは理屈上、始祖の霊長との性質と似ている。そこに目をつけた。
 アレクセイはたちの異世界のことを何らかの資料から知り、
 エアル慣れしていない人間を呼び寄せ、聖核量産機を作ろうと目論んだ」

研究が失敗すれば、環境の違う世界で育った実験体は生きていけない。
それを分かっていて。……エステルといい、シュヴァーンといい。
騎士団長が所望するのは、価値のある道具のみということか。

「…だが、二人引っ張ったはずが、一人しか手元に来なかった。
 予想の着地点から大きく離れた場所に落ちてしまい、そこが魔獣の住む森だったことから、
 不慣れな人間は生き残れないだろうと踏んだようだ。
 回収はされず、記録だけが残った。いたかもしれない幻の実験体として」

が、声と髪色を失い。
足も折れて。
飢えて。
ボロボロになって。
雨に打たれていたのは。

    …

「………ちゃん、ユーリに拾われたんだっけ?」
「…ああ……」
「不幸中の幸い、だな」

優しいレイヴンの声が、染み入る。
かつて、剣を握ったことが無いと言っていた。
きっと平和な世界から来たのだろう。怖かったはずだ。戦う術がなく、逃げ回るしかない恐怖。

もう一度言ってやりたい。
よく頑張った。よく耐えたな、と。

「フレンちゃん、もう一人の子は……」
「亡くなりました。…土台、無謀な研究だったようです。
 多量のエアルを抱えきれず、暴走で研究所が燃えて、そのまま」

握りしめた右拳が、全て物語っている気がした。
ああ、そうか。フレン。お前は    。
…そうだな。生きていれば、気持ちを届けることができる。

「アレクセイ………」

エステル、、シュヴァーン、礎にされた人々。
助けれるものは助ける。何としてでも。

「シュヴァーンはアレクセイの懐刀だろ。何か聞いてないのか」
「そういうの専門じゃないからね。実験のことは風の噂程度しか知らないと思うわよ」

騎士団のナンバー2がそれでいいのかと問いたいところだが。
王座が長らく空席だったせいで、帝国はアレクセイの独制状態だった。
研究のひとつやふたつ、団長の力なら秘密裏にするなど容易い。

騎士団隊長主席はのことを失った実験体とは知らず捕まえたが。
問題は、騎士団団長が、気づいていたかどうか。

「あまり団長閣下に近づかせないほうがいいわね。……利用できるものは利用するだろうからね」

レイヴン曰く、体に支障をきたすほど障害に蝕まれている
ならば内にあるエアルは相当な量だ。始祖の霊長ほどでないにしろ、利用価値は高いだろう。

…これ以上、思い通りになどさせない。必ず助ける。も、エステルも。

「3人とも!アイテムの補充終わったよ!」
「ワンッ」

甲板の端、ぶんぶんと手を振るカロルが呼んでいる。
こちらも手を振り返し、仲間の元へと向かう。

「ユーリ」

甲冑に包まれた無骨な拳。向けられた其れに、俺の拳をカツンと当てる。

「行くぞ」
「ああ」

団長閣下がどんな大望を抱いているかなんて、知ったこっちゃねえ。
ただ俺たちは信じて進む。譲れないもののために、戦う。それだけだ。

「いやぁ。若いっていいわねぇ」

茶化しながらおっさんが俺たちの後ろに続く。
だが、目は笑っていない。まさに天を射んばかりに矢先を研いでいる。
たくさんの思いが、力が、一つになった。今こそ好機だ。

    そろそろ、落とし前をつけないとな。

みんな揃ってに「ただいま」と言うために。


もうひと踏ん張りだ。









「邪魔ッ!」

一閃。

群がる植物たちを薙ぎ払い、道をこじ開ける。

飛び込んだ勢いのまま坂道を上がろうとするが、下も右も左も前も、上も、おどろおどろしい緑色の茎がうねっている。
体が重い。内側のあちこちが痛む。この感覚、適応障害の症例だ。だが、これは    。

(なんでこんなにエアルが?!)

進路を塞ぐ魔物を蹴り飛ばす。だが1匹倒せば2匹。3匹。4匹。キリがない。
おまけに太く巨大な植物があちこちを塞いでいる。

いつもより大きな負荷を感じながらも、刀の柄を握り直す。
どんなに自殺行為でも、退くわけにはいかない。
自分は武器がある。抗う術がある。けれど下町の人たちは逃げるのが精いっぱいのはずだ。
早く、早く助けなければ。これ以上エアルの濃度が上がってしまう前に!

…ユーリ。ごめんなさい。

「おかえりなさい」って言えるのは、ずっと先になってしまうけれど。
私は諦めたくない。やっぱり、大好きな人たちの笑顔が好きだから。

(バウル…ありがとう……)

渋々ながらも船を降りることを許してくれた友人に、感謝を。
そして一刻も早く帝都の異変がユーリたちに伝わるよう、ささやかながら祈る。

大丈夫。僅かな間の事だ。

守ってみせる。

大切な人たちも、彼の想いも。


もう、何ひとつ失ってたまるものか。







カノン Fin