ドリーム小説



抗わなかったわけじゃない。

しかし皆、首を横に振った。
ある医者は眉を顰め。ある医者は黙りこくり。
誰一人、確実なことを口にすることはできなかった。

そんなことを繰り返していくうち、私の何かが、徐々に擦り減っていって。
手に握る診療代が、無駄に思えてきた。
このお金でユーリの好きなもの買えるんじゃないか。
治るかどうかも分からない病気に時間をかけるより、目先の、すぐに手に入る幸せのほうが、大事なんじゃないかって。
私は。私の命より、ユーリとの時間を選んだ。

本当にしたいことなんて、考える事すら無くなっていた。

守るものの大きさが変わっても、根っこは変わらないユーリがとても眩しくて。
否応なしでも体調が変化し続ける私は、彼の変わらない強さに憧れた。

私もユーリのように、揺るがない信念を貫こう。
彼の願いが、思いが、叶いますように。
そのためならどんなだってできる。何だってやってみせる。
身に巣食う病魔なんてどうでもいい。
ユーリの笑顔を守る。居場所を守る。ただ、それだけを考えて。

ユーリの目が少しずつ色を変えていたことに気づいたのは、いつの頃だっただろうか。

以前はじゃれあうようなスキンシップだったのに、まるで恋人同士の触れ合いのようになった。
彼がどんな想いで私を見ているのか、本当の意味を知る由も無く。
漠然とした危機感だけ感じた私は、これ以上はいけないと、距離を置いた。

変化は、成長とも呼べる。
そのことに気付けなかった私は、無意識のうちにユーリの気持ちを否定していた。
…随分酷いことをしている。あの夜、手を出しながらも決定的なことが無いというのも、必然であり、しかし奇跡ともいえる。
今を未来に繋げる。結婚、だなんて。そこまで考えていたなんて、思いもよらなかった。

おじさまや皆は、知っていたんだろうか。
じゃあ、私が今までしてきたことって、何なんだろう。

状況は変わった。
私はどうする?どうすればいい?
急に目の前の道が崩れてしまって、呆然と立ち尽くす。



だからあれは、仕方のないことだったのだ。


皆がいなくなって、ぼんやり空を見上げる私を、心配してしてくれた。
元気づけようと、以前住んでいた下町の上を飛んでくれた。
励まそうとしてくれた。バウルに他意は無かった。だから、彼は何も悪くない。
まさかそこにユーリたちの目的の人物がいるなど、思いもよらなかった。

突如、気味の悪い球体に覆われていく帝都。
澄んだ水に落とされた泥のように濁るそれは、真っ青な空の中、皮肉にもよく映えた。

綺麗とは言えない雰囲気の中、微かに見えたのは大量の魔物と、逃げ惑う人々。

おかしい。おかしい。だって、帝都は結界で守られているはず。魔物が入ってこれるわけがない。
なのに、何故。どうして。誰がこんなことを……!

そこまで考え、はたと思い至る。
あの球体は、やはり結界なのではないか。結界の中が、おかしくなってしまっているのでは。
そして、こんなことができる力を持っている人物は、そう多くない。
どうして。なんて。今日は疑問に思ってばかりだ。
ああでも。誰がいるか、なんて。そう考えれば辻褄が合う。

「バウル!降ろして!」

じっとしていろと言われたけれど。
まさに眼下に友人が、大切な人がいるというのなら。
竜は唸る。きっとユーリたちと同じことを言っているんだろう。
けれどジュディスさんたちと容易に連絡が取れない今、動ける人間が動くべきだ。
それに、下町の人たちもちゃんと逃げることができているのか。
騎士団に先導され帝都から避難している列が伸びているが、どの人も身なりが整っているように見える。
一斉避難となった時、帝都で一番優先順位が低いのは    下町だ。

「お願い…下町が……!」

でも彼は無言でさらに高さを上げてしまう。
無茶なお願いをしているのは、分かっている。
だからと言って、こちらも引けない。下町は大切な場所。私の、そしてユーリの守りたいものの原点。

「…じゃあ、飛び降りるわ」

そう言い縁に足をかけた時、また青い竜は啼いた。
ゆっくり、ゆっくり、船の高度が下がっていく。

「ありがとう。……ごめんなさい。必ず貴方のために帰ってくるから」

私に何かあればバウルを悲しまることになる。
行くからには、お説教で済ませられるようにしなければ。
近くなった地面を見据え、飛ぶ。柔らかい芝生を踏みしめ、走る。

きりきり。胸が、身体が針に刺されたように痛む。
これは…エアルだ。いつもより濃い。
吐き気がこみあげてくるが、なんとか喉の奥へと飲み込む。

(まさか、結界の中のエアルが乱れてる?)

それなら町の中に魔物がいたのも頷ける。
避難の流れを逆行し、刀を抜く。

「邪魔ッ!」

一閃。

群がる植物たちを薙ぎ払い、道をこじ開ける。

飛び込んだ勢いのまま坂道を上がろうとするが、下も右も左も前も、上も、おどろおどろしい緑色の茎がうねっている。
体が重い。内側のあちこちが痛む。この感覚、適応障害の症例だ。だが、これは   

(なんでこんなにエアルが?!)

進路を塞ぐ魔物を蹴り飛ばす。だが1匹倒せば2匹。3匹。4匹。キリがない。
おまけに太く巨大な植物があちこちを塞いでいる。
あまりに変わり果てた風景に言葉が出ない。
下町が、壊されている。惨い有様だ。

「下町が…ユーリの、帰る場所が……っ」

いつもより大きな負荷を感じながらも、刀の柄を握り直す。
どんなに自殺行為でも、退くわけにはいかない。
自分は武器がある。抗う術がある。けれど下町の人たちは逃げるのが精いっぱいのはずだ。
早く、早く助けなければ。これ以上エアルの濃度が上がってしまう前に!

…ユーリ。ごめんなさい。

「おかえりなさい」って言えるのは、ずっと先になってしまうけれど。
私は諦めたくない。やっぱり、大好きな人たちの笑顔を守れる自分でいたいから。

(バウル…ありがとう……)

渋々ながらも船を降りることを許してくれた友人に、感謝を。
そして一刻も早く帝都の異変がユーリたちに伝わるよう、ささやかながら祈る。

大丈夫。僅かな間の事だ。
守ってみせる。
大切な人たちも、彼の想いも。

もう、何ひとつ失ってたまるものか!

ぐぷ。血が、口端から溢れる。口の中が鉄臭い。
限界が近いからユーリから離れようとしたのだ。この乱れに乱れたエアルの中、さらに死は近くなっただろう。
限界を通り越したら極限になるのか?それも越してしまったどうなるのだろう?
どうでもいいことが頭を回る。結論は「死ねない」。どう考えたところで、目指す物は変わらないのだ。

下緒を引く。ぶぅん。小気味よい音と共に、黒塗りの鞘が宙を奔った。
鋭さは刀に劣れど、固さは右に出る。もちろん当たればタダでは済まない。
白蛇のような下緒を操り、遮るものを薙ぎ払う。

「きゃあああ!!」
「?!」

布を切り裂くような悲鳴が響いた。遠くない。

「どこ?!」

やはり逃げ遅れた人がいる!
道をこじ開け、声が聞こえたほうへと走る。

「誰か…誰か…!」

見つけたのは、植物の魔物に襲われている親子の姿だった。

「……っ!うおおおおおおおおお!!」

地面を蹴り、彼女たちを狙う鋭い茎を一太刀で切り捨てる。
次いで胴体に足を叩き込み、顔らしきものに刃を突き立てる。

魔物は少し足をばたつかせたが、間もなく静かになった。

「はあ…っ、はあ…っ」
「あ、ありがとうございます……!」
「…いえ……」

年若い女性と、胸に抱きかかえられた幼い女の子。
人形を握る小さな手が、震えている。

「……避難を誘導している騎士は、いないんですか?」

今から帝都の外に出るにも、魔物の数が多すぎる。彼女たちを守りながら脱出するのは難しい。
それに入口が塞がれているとなると、下町の人は帝都のどこかに逃げざるを得ないだろう。
騎士の中に、誰か。下町を気にかけてくれる人がいれば。
さほど高級な服を身に着けていない母親に問うと、彼女は視線を落とした。

「…あ……あの、いたんですけど、私たちは列からはぐれてしまって……」

子どもを抱えて走るのは大変だろう。ましてや女性の身となれば。

「どこに行ったか分かりますか?」
「城の、ほうに…でももう……魔物が道を………」
「………」

城と町の外。どちらが近いか。
そうこう考えている間に、新手の魔物がにじり寄ってくる。それも複数。
…考え事は、動きながらしたほうが良さそうだ。

「怪我はありますか?」
「い、いいえ」
「では城へ向かいます。大変だと思いますが、着いてきてください」
「わ、わかりました」

女性は子供をしっかりと抱きしめ、立ち上がる。

「ごめんね、怖いと思うけど…すぐ安全な場所に連れて行くから」

ユーリが好きだと言ってくれた笑顔で語りかけると、母親の胸に顔を埋めた少女は
腕に抱く人形をぎゅっと握りしめ、顔面蒼白ながら頷いてくれた。
守らなければ。たとえ魔物が何匹いようと、私が、やらないと。

この体は小さくとも、囲まれることは不利ではないことを思い知らせやる。

「舐めるな。伊達に剣を持ってる訳じゃない!」

いっそ人間相手であればこの威嚇に多少は怯んでくれるのなぁと、どうでもいいことが頭を過ぎる。
数は6匹。少し多いが、一人で仕留められない数じゃない。
問題は武器代わりの茎だ。鞭のようなあれから親子をどう守るか。

腰を落とした、刹那。

「でぇぇぇぇやあああぁぁッ!」

野太い声と共に、魔物の胴体から何かが突き出た。

「?!」

それは、細く鋭い刃先。それに続く柄。…槍だ。槍が、魔物を貫いている。
ずぼっ。勢いよく引き抜かれたそれは、今度は化け物の首を跳ねた。
私が呆然としている間に、2匹目。3匹目。
次々と地に沈み、魔物の包囲網があっという間に崩れていく。

「ん?何故貴様がここにいる?!」
「あなたは、シュヴァーン隊の……!」

槍を構えたまま眉を寄せた騎士に見覚えがあった。
名は確かルブラン、といったか。ガタイの良い中年騎士で、よく下町に来てはユーリに追い返されていた。
私は彼と剣を交えたことは無いが、ユーリとのつながりで何となくお互いの顔は知っている。

「こ、この人です!この人と、あと2人の騎士が、下町の避難を……」

彼女の言葉に、ルブランが「おお!」と声を上げる。

「はぐれた夫人がいると聞いていたが…貴女がそうか!ささ、城に行くぞ!」
「城に下町のみんながいるの?」
「…市民の避難誘導をしていたのだが、下町の連中の姿が見えなくてな」

あえなく城に逃げたのだと、槍を振るいながら呟く。

「命令違反だ」

ぼそりと零した言葉に、思わず笑ってしまった。
一人では難しいことでも、二人なら。
最後の1匹を切り払い、息をつく。

「とにかく避難場所へ。先導をお願いします。殿は私が。」
「……口から血が出ている。怪我をしているのか?」
「支障はありません。今は、一刻を争います」

話を聞くに、この親子が最後の避難者だろう。
城が安全かは分からないが、この場よりはマシだと思いたい。
まだ。まだ大丈夫。刀を握る力はある。

「無茶はするなよ」

その言葉を合図に、騎士と女性は走り出した。
私も女性の後につき、わらわら沸く魔物たちを切り捨てる。
広場を抜けた先。階段を登れば城の門はすぐそこだ。
本当は節々が痛いし重いし足も縺れそうだったけど、気にしてなんていられない。
ひとつでも多くのものを守って、ユーリの、みんなの所へ帰る。それが、バウルとの約束だから。

「頑張って!あと少し!」

息を上げ懸命に階段を駆け上がる女性の背中を押す。
ごぅん。物々しい音を立て、城の門が開いていく。

「こっちだ!」

騎士が門を押さえている間に、私と女性が駆け込む。
大きな門、そして豪奢な扉も素早く閉じられた。

取っ手に手をかけたまま、騎士はずるずると座り込む。

「こ、ここまで来れば……」

ガン!ガン!!

安堵した直後、外の門に何かが激しくぶつかる音がした。
魔物が、体当たりしているのか。門を超えるような知性が無いことを願うしかない。

「………少し、マズイかもしれんな」

外の騒動が嘘のように城の中は静かだった。
壁が頑丈なのだろうか、騒音という騒音は無い。     …このぶつかる音を除けば。

「城の中にはアレクセイ閣下の騎士がいる筈だ。当然、避難の許可は、取っておらん」
    何だこの音は?!」
「…ああもう、言ってる傍から!」

ルブラン騎士の声にかぶさるように奥がざわめく。
エステルを捕え、道具のように使うアレクセイの部下に、下町のことを知られたら。
ぞっとする。きっと、ロクでもないことになるに違いない。
走りつかれた足をもう一度奮い立たせ、へたり込んでいる女性の手を引く。

「下町の連中は食堂にいる、行くぞ!」

ここで見つかるわけにはいかない。
ルブラン騎士の背中に続くが、「あっ」とか細い声が零れた。

「まって、お人形……っ」
「だ、だめよ!諦めなさい!!」
「お人形、ママのお人形〜!」

女の子が大事そうに抱えていた人形が、さっきまで私たちがいた場所にぽつんと転がっていた。
立ち上がった拍子に落としてしまったのか。小さな手をばたつかせ、女の子は泣き叫ぶ。

今まで大人しかった女の子が、こんなにも泣いている。
あの人形は精神的な支えだったのだろう。何かに縋れば、頑張れる。それは私にとって身に覚えのある話で。
もし私が、ユーリのぬいぐるみを落としたら……。
辛い。きっと耐えられない。命には代えられない、そう分かっていても。
ぬいぐるみだって、何物にも代えられない宝物だから。

「…おい!?」

今から戻れば確実にアレクセイの騎士に見つかる。分かっている。でも。
それでも私はどうしても、捨て置けなかった。

「来ないで!見つかるのは私だけでいい!」

人形のもとへ走る。走る。渡すところを見られたらアウトだ。

「しかし!」
「命令違反なんでしょう?!シュヴァーン隊がここにいる説明がつかない!見つかれば、下町のみんなも危うくなる!
 私一人だけなら侵入者としてごまかせるわ!」

囮になって引っ掻き回せば、その分彼女たちは逃げやすくなる。
重々しい足音が近づいてくる。それらに追い付かれる前に人形を掴み、ルブラン騎士に投げた。

「行って!下町のみんなを、守って!」

弧を描いた人形は、無事彼の手に収まる。よかった。女の子の宝物を、守ることができた。

「………、必ず…必ず戻れ、・ローウェル!お前に何かあればあの男に顔向けできん!」

・ローウェル。その名に、こんな時なのにむずがゆい気持ちが滲む。
同居していた故にユーリの嫁だと囁かれ、噂だけが先行していた、あの時。
肝心の彼の気持ちを知らなかった、あの頃。
そんなふうに呼ばれる度、申し訳なさが先に立って、当時はとにかく否定していた。

でも。暖かい想いを知った今、罪悪感よりも嬉しさがせり上がる。
ルブラン騎士の勘違いを本物にしたいと。そんなことを考えてしまった。

私は頷き、背を向ける。
バウルと約束した。ルブラン騎士と約束した。
仲間も、エステルも、ユーリとも。
私はたくさんの約束を抱えている。

「なんだお前は?!」
「侵入者だ!」
「アレクセイ団長に知らせろ!」

ああそうだ。目の前にいるのは魔物ではなくて、人間。
なら、多少は効くかもしれない。
刀を振る。鞘を払う。精いっぱい、凄んでみせる。

「エステルはどこ?」
「な、何者だお前は?!」
「質問を質問で返すのは感心しないわね。まず私の問いに答えてくれない?」
「団長の邪魔をするなら、容赦せん!」
「…成程。あの男と一緒か」

槍が、剣が、盾が、こちらに向けられる。
あぁどうしてだろう。
ちっとも怖くない。

「舐めるな……伊達に、剣を持ってる訳じゃない!」

大きな盾も構わず鞘を投げつける。良い音を立てて、盾ごと後ろにいた騎士がふっ飛んだ。
崩れたそこが、抜け穴。
騎士が集まる前に。大勢を立て直す前に。
鞘と刀を振り回し一点突破で騎士の束を突っ切った。

    …逃げたぞ!追え!」

全員を相手する気などさらさら無い。
ひたすら走る。廊下を曲がり、噴水を横切り、とにかく走る。
ルブラン騎士たちが走り去った方向とは反対の道を、闇雲に賭けた。

なるべく遠くへ。奥へ誘い込み、引っ掻き回せば回すほどルブラン騎士たちの存在を隠せる。
あとは適当に巻いてこっそり食堂を探せばいい。

「あー…でも此処どこだろう……」

城に入るのは初めてだ。こんな形で来ることになったのはちょっと残念に思う。
闇雲に走り回っているから道どころか方角すらも怪しくなってきたけど、一先ず隠れるところを見つけないと。
幸い重い鎧を着た騎士たちに追い付かれることはないが。どうしたものか。

「…あ。あそこは……」

視界先に広がる、赤い絨毯。
広くまっすぐ伸びるその先には、背の高い豪華な椅子が鎮座している。

金色の縁に彩られた、選ばれたものだけが座ることのできる、それは。

「玉座……」

そうだ。子どものかくれんぼのようにけど、あの後ろなら姿を隠せる。
正直、そろそろ身体もきつい。痛みと吐血の量で倒れそうだ。
少し休憩して、食堂を探しに行こう。
玉座の間と呼ばれるところに足を踏み入れた、時だった。


「これはこれは。面白いものが転がり込んできたな」


背後から、忘れられない声色が降りかかる。

足を止め、背後を見る。
がちゃり。甲冑がすれ合う音。

「アレクセイ……!」

息継ぎも忘れて、吐き捨てる。

「君に呼び捨てされる謂われは無いのだが…まぁ、良しとしよう」

騎士団長、アレクセイ。
突然転がり込んできた来訪者に、彼は驚くそぶりも見せず、笑う。
そしてその横には、囚われのお姫様。私の大切な、仲間。

…どうして、ここに……」

神殿の時と変わらず不思議な球体に閉じ込められ、アレクセイに付き従うように動く。
とても不愉快な光景だ。今すぐ叩き割って、解放してあげたい。
だって、エステルの力は、こんな奴のためにあるのでは無いのだから。

はあ。鉄臭い息が、口をついて出る。
体力も力も擦り減った状態で、この邂逅。
エステルを取り戻すチャンスでもあり、しかしピンチでもあった。

「エステルを離して!」

先手必勝。おもむろに鞘を投げ、続いて刀を振りかぶる。
とにかく突破口を。こいつを弱らせれば、エステルを捕える球体も弱まるかもしれない。

だけど。

「…やれやれ。淑女としての嗜みがなっていないな」

不意打ちの鞘攻撃を難なく受け止め、飛び込んだ私を片手で張り飛ばす。

「がっ、あっ」
ッ!」

武器も使っていない、たった一発。
それだけで、目の前に星が飛ぶ。視界が、馬鹿みたいに回った。
バチ。バチ。
電気がはじけるような音が、聞こえる。

「やめて…やめてください、アレクセイ!」
「本来は私が手を下すまでも無いが…侵入者を許した部下の不始末は、上司がせねばなるまい?」

エステルの力が、エアルをかき混ぜている。
まずい、体力が削られている今、そんなことをされたら。

     あ…ぐっ」

胸が、腹が、喉が、頭が。痛い。針で刺されているようだ。

「せめて、大好きな仲間の力でエスコートしてやろう」
「はっ……ぁ、げほっ、ごほっ」

たまらず床に手をつきえずく。
エアルが。私を侵して、壊していく。

、お願い、逃げてください、私には止められない……!逃げてぇ…っ!!」

大きな光が、私を飲み込んだ。

      ッ!」

気が付いたら、吹き飛ばされていた。目の前が赤い。あちこち熱くて、痛い。もうどこが痛いのかも分からない。
立たなきゃ。エステルが、泣いている。
誰よりも笑顔の似合う女の子に、辛い顔させちゃいけない、のに。

ああ。でも。
身体が思うように動いてくれなくて。

「ん……?強くしたつもりはないのだが」

また、電気のような音がする。
もう一度当たったら無事ではいられない。
逃げて。逃げて。悲鳴のようなエステルの声だけが、私の意識を引き戻す。

(…だめだ、このままじゃ、負ける。エステルが…やくそく、が)

霞む視界の中、自分の血の色だけが、はっきりと見える。
死にたくない。まだ、ユーリに、何も伝えられて無いのに。
勝手に飛び出して、挙句壊れかけているなんて。そんなの。こんな、体たらく。

バチィッ。その音に、否応が無しに体が反応してしまう。

「あッ…は、あ、あぁ……ッ!」
?!」

あああああ。熱い。痛い。熱い。痛い熱い痛い熱い痛い痛いいたいいたい。
内臓をかき回されるような。脳みそを揺り動かされるような。
血とも胃液とも言えないものが口から溢れる。
嫌だ。エステルも助けられなくて、こんなところ、で。

「………ふむ」

のた打ち回る苦しみが、急に、止んだ。

「そういうことか」
「………っ?」

息苦しさから解放されても、ダメージを負った体はすぐに回復しない。
立ち上がることもできない私に、愉しそうな、気味の悪い声色が浴びせられた。

「どことなりとでも逐電すれば、追うこともしなかったのだが。」

何を、言っている?かろうじて聞き取れても、意味が分からない。

「アレクセイ…?どういう、ことです?」
「教えて差し上げましょう姫。
     彼女は、異世界の人間なのです。」

まるで挨拶をするように、アレクセイはするりと言ってのけた。

「……異世界…………?」

戸惑った声が落ちる。心臓を鷲掴みにされた気分だ。怪我とは別の理由で、顔が上げられない。

「テルカ・リュミレースではない、文明文化、世界の理すら違う別次元の世界。故に、エアルに対する耐性が無い」

親切丁寧な説明に、私の頭が、怖い想像を掻き立てる。
このことを知っているのはおじさまだけ。でも彼は、遺跡の奥にいる。
計算高いアレクセイのことだ、もしおじさまが私の秘密を言っていたなら、彼ごと私を捨て置くことはしなかっただろう。
つまり。以前から、異世界…私の故郷のことを、知っていた。

「循環できずその身にエアルを溜め込んでしまう。その貯容量はいかばかりか。
 始祖の霊長の聖核には適わないが、魔核くらいは取り出せるでしょう。
 放棄した実験が、よもや回収し損ねた実験体から成果を得られるとは。運命とは数奇なものだ」

思わず、耳を疑った。実験?回収し損ねた実験体?この男は何を言っている?

この世界に落ちたのは神隠しみたいなものだと思っていた。
エアルに苦しむのは、仕方のないことなのだと。
見えざる力で、私はテルカ・リュミレースに、いる。ずっとそう考えて。
誰も何も悪くない。すべては偶然。だから、受け入れて、耐えるしかないと。

「………あなたが、私を喚んだの?」

異世界。エアル適応障害。突然の、トリップ。
なけなしの力で腕を突っ張り、身体を起こす。
ようやっと目線を上げた先には、薄ら笑う、男。

「異世界のことを知り得たのは良かったが、呼び寄せることができたモルモットは多くなくてね。
 君を取りこぼしたのは損失だと思っていたよ。つい先程までは、な」

こいつのせいで。
声が枯れて、足も折れて、化け物みたいに徘徊して。
今も色が戻らない白髪が目の前で揺れる。悲しいけれど、見慣れてしまった、白。

「お前をこの世界に呼び寄せたのは私だ。だから”使う”権利も私にある。
 目の前にいるのなら、使える道具は使わねばな?」
「そんな…!違います!は道具じゃありません!訂正して下さいアレクセイ!!」

エステルの声に、涙が出そうになって瞬きで堪える。
悔しさと、やるせなさに、唇が震えた。
ユーリの顔が浮かんでは消えて、どうしようもなく縋りつきたい衝動に駆られた。
私は。私は。私は。…こいつのために今まで地を這ってきたんじゃない。

でも。このまま抗い続けたところで、私はこの男に勝てないだろう。腹立たしいが、こいつはとても強い。
仮に生き残れたとしても、燃えカスになるまで利用され捨てられるのがオチだ。
そうなった時、私はきっと、人としての形を保ってはいない。

実験体なんて、嫌だ。
終わりたくない。
死にたくない。
ユーリが愛してくれた「」でありたい。

(死んだら、終わりだ。謝ることもできなくなる)

勝てない。
逃げられない。
けれど私は生きていたい。

そして、苦しい立場でありながら庇ってくれたエステルの力を、これ以上この場で使わせない。

「………取引、しましょう」

足元に転がっていた刀を拾い、鞘に収める。

「アレクセイ団長。貴方に協力するわ。エアルを貯めたこの身体、好きに使えばいい」

ユーリがくれた大事な刀を、アレクセイに投げる。
何も持っていない両手を上げ、私は笑う。たぶん、悪い顔をしていると思う。

?!何を?!」
「……………」

私は実験体になるはずだった。もしアレクセイの予定通りなら、私は今、生きてはいない。
たまたま回収されず、たまたま帝都に流れ着き、たまたまユーリに拾われた。
それを無為にするか、意味のあるものにするか……私次第だ。

「そのかわり、全てが終わった時、それでも私が2本の足で立っていたら…この身体を治して」

たとえ誰にも理解されない茨の道でも。未来に、繋がるのなら。
    私はどんな選択も躊躇わない。

「…ふむ。大胆な賭けだな。勝算が立っていないのではないかね?」
「ここであなたと削り合うほうが割に合わないわ」

エステルの顔は、見れない。
道具じゃないと言ってくれた彼女の言葉を違える行為だ。油断すれば声が詰まりそうだった。
揺らぎそうな心を押し込め、務めて平静な風を装う。

「少しでも長く生きていたい。だから、貴方に従う」

。泣きそうな声が、胸に突き刺さる。
謝ることも、慰めることも、何もかも資格を失った私は、聞き流すしかできない。

     その執着、嫌いではないな」

降伏の証明書代わりにと捧げた刀が、投げ返される。
受け取り、柄を握って笑ってみせる。

「いいの?後ろから斬るかもしれないのに」
「お前の奇襲など大した問題ではないのでな」

ああ、やっぱり勝てる見込みはないか。
大人しく刀を下緒から下げておく。
こうやって得物が戻ってきたということは、エアルの器以外の仕事もあるのだろう。
早めに体力を回復しといたほうが良さそうだ。

「来い。お前には我が計画の礎となってもらう」

背中を向ける余裕ぶりがムカつかないわけではないが、太刀打ちできないのは重々承知だ。
あちこち悲鳴を上げる身体を叱咤しながら、なんとか足を動かす。

    もう、説教どころじゃないな。

きっと近いうちに仲間はこの城に来るだろう。私が裏切ったこともすぐに知れ渡る。
そうなれば、恐らくユーリたちと刃を交えることになる。
おじさまを失ったばかりの彼らの心を傷つけてしまうことになるが、全て覚悟の上で選んだ道だ。
申し訳ないとは思いつつ、躊躇いは無い。迷いも無い。

生き延びるためなら、どんなことだって、できる。何だってやってみせる。


私は仲間の笑顔よりも、自分の命を、選んだ。