君に花を


仏頂面で入り口を塞ぐユーリ。
ユーリに睨まれて動けない俺様。
そんな2人に挟まれておろおろしているちゃん。

ユーリはちゃんにべた惚れで、ちゃんに限定で心が狭く、とにかくちゃんを傍に置きたがる。
黙ってたって分かる周知の事実だが、これをうっかり無視するとユーリが面倒臭い。
普段の頼りがいのある兄貴はどこへやら、不機嫌オーラ全開で親の仇を見るような目でこちらを見てくる。
うん、まさに今みたいな感じ。しかも相手が俺様だから武器持参。いざとなったら消す気だこのあんちゃん。

「ユーリ、本当にごめんなさい、今度穴埋めするから…」

小さな身体で懸命に庇ってくれるちゃんが、小動物に見えてちょっと頬を緩みかけたが、
刃より鋭い視線が突き刺さってきたので慌てて口を閉じた。

きっかけはなんてことはない。ユーリの誘いをちゃんが断ったからだ。

ちゃんはいつだってユーリを優先しているが、先約がある場合等は当然そちらをとる。
一昨日は天然お姫様に「ショッピングに行きましょう!」と連れ去られた。
昨日はカロルに「ナンの誕生日プレゼントを探したいんだ…」と頼られた。
今日は珍しく一人だったので「おっさんとデートしない?」と誘ったら、嬉しそうに頷いてくれた。
どれもこれもユーリが誘う前のことなので、当然、真面目なちゃんは先約を優先する。
ユーリも昨日までは仕方ないな、と(青筋出しながらも)納得していた。

が、冒頭で上げたとおり、ちゃんのことに関しては本当に心が狭い。
3回連続フラれた瞬間、ブチッと切れる音がしたのはきっと気のせいではない。

「ほ、ほら青年ってばラピードと出てったから、しばらく戻ってこないと思ったのよ。」

そうじゃなければちゃんは俺の誘いを断っただろう。
ここ連日断り続けているから、気にしてないはずがないのに。
しかし当の本人は2人の心中を知ってか知らずか、重い口を開けた。

「……月夜の夜ばかりと思うなよ………」

さっきからこの繰り返しである。

言葉違えど 殺。
台詞違えど 殺。

とにかくここ3日分の憎しみを凝縮してくる、非常に関わりたくない状態だ。
つーか青年ってこんなキャラだっけ。心狭いといっても限度があると思うんだけど。
それでも手を出してこないのは、やはりちゃんの前だからか。

このままでは収拾つかない上に心臓が持たないので、賢い俺様は妥協案を出した。

「んじゃ、俺様は明日でいいよ。ちゃんだって青年と一緒に居たいだろうしね。」
「お、おじさま。」
ちゃん、どこ行きたいか考えといてねー」

手を振る俺をちゃんが慌てて追いかけてくるけど「わあっ?!」と声が上がったので、恐らく青年に捕まったんだろう。
ようやっと開放された俺は、胸焼け空気を吸いたくないのでそのまま宿屋を出る。
あとは若いもの同士で青春すればいい。いつも通りあてもなく足を動かした。



***



適当に酒を流し込んで宿屋に帰ると、もう夜中だというのにちゃんが姿勢正しく待っていた。
今日はお気遣いいただいてありがとうございました。
約束通り明日デートしませんか?美味しそうな屋台見つけたんです。お昼過ぎに、ここにいますから。
こちらとら言われるまで忘れていたのに、ほんっと生真面目な娘だ。

断る理由もないので、二つ返事で了承した。
酔いの回った頭で柄にもなくデートコースを考えてみちゃったりする俺。
その行為は思ったりよりも楽しくて、彼女の笑顔を添えた「おやすみなさい、また明日」の言葉に
不覚にも遠足前日のようなドキドキ感を感じてしまった。いい歳こいてなにやってんの、俺。

    翌日、まさかあんなことになるとは思いもよらず。
ニヤニヤと締りのない顔のまま俺は布団をかぶった。




……が来ない。

指定されたロビーで待てど暮らせど、仲間にからかわれるばかりで当の本人が一向に姿を現さない。
珍しくすっきりと起きて年甲斐もなくわくわくしていたのに、とんだ肩透かしだ。

エステルと同じくらいきっちりした彼女が、約束を反故にするとは思えない。
何かあったのか…皆と一緒に朝食を食べ、その後部屋に戻ってから外に出ていないはずだが。
考えてても埒が明かない。俺は重い腰を上げ、ちゃんの部屋に向かった。

もしかしたらうっかり転寝しているのかもしれない。
深く考えず、部屋のドアを軽くノックしてみた。

ちゃーん。おっさんですよー?」

………。反応がない。いないのか?
もう一回ドアを叩いて呼ぶ。やはり、沈黙が下りるばかり。
別の場所を探すか…俺はため息と共にドアに背を向けた。

がしゃんっ

一枚の板越しに、割れる音が廊下に響いた。
俺は無意識にドアを見つめる。微かに、微かに何か聞こえる。

「…ちゃん?」

それは呼びかけでなく呟きだった。

今回全員の個室が取れたため、中にいるのはだけのはずだ。
応答はない。しかし、何かが割れる音がした。
   嫌な予感しかしなくて、俺は咄嗟に叫んだ。

ちゃん、入るよ!」

幸い鍵が掛けられていないドアノブを回して開け放つと、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をついた。


「…おじ…さ…ま……」


鮮血。


俺の頭がまず認識できたのは、それだった。


膝をついて口元を真っ赤に染めた少女が力なく俺を見上げる。いつもの穏やかさが消えた、虚ろな、目。
その間も口端から流れる血はただことじゃない量で、小さな手で受け止めきれず、の膝先に斑点を作っている。
今まで様々な修羅場を乗り越えてきたつもりだったが、俺の思考回路は情けないほど固まってしまって、
ついでに喉も身体も何も動かせなくて、ただ、突っ立っているのが精一杯だった。

永遠とも思える時間が、俺と彼女の間に横たわる。
ただ視線が交わっているだけなのに、たったそれだけのことが鉛のように重い。

「おじさま、すみませ、ん」

数秒だったかもしれない。けれど俺にとって数時間にも感じられた沈黙。
こんな時だというのに、彼女は弱々しくも笑って、気まずい空間に言葉を落とす。

「みぐるしい、もの、みせて、すみ、ま、せん。
 ユーリには、みんなには、だまってて、くれませんか。」
「……………っ」
「足は、ひっぱりません、おねがいしま、す」

何言ってんの。何言ってんの、この子。こんなに血吐いてて、先に立つのが仲間のことか。

「あ、じかん、すぎてますね…ごほっ。ごめんなさい、すぐに、用意します。」

常々は人に気を配る性格だなぁとは思っていたが、ここまで来るとさすがに突っ立ってられなくなった。
ドアを閉めて鍵を掛けて、立ち上がろうとする小さな身体を慌てて支えてやる。
思ったよりも軽くて、そして色が白い。こんなのでいつも前線張ってるのか。今の様子では信じられない。

「馬鹿なこと言ってんじゃないの!今日はおっさんと部屋デートよ!異論は受け付けないからね!」

ちゃんは驚いたように目を丸くして、「おじさまのそういうところ、好きです」とまた表情を崩した。

「……これ、いつからなの?」

彼女と旅をするようになってそれなりに経つが、たまに咳き込んでいるくらいで、体調が悪そうには見えなかった。
青年やジュディスちゃんあたりは薄々察しているかもしれないが、まさかこんな、血を吐くまで酷いものだとは知らないだろう。
知っていたらあのユーリが旅の同行など許すはずもない。とっくに下町に帰しているはずだ。

「ここまで吐いたのは、はじめてです…私もびっくりしました……」

割れた花瓶を足で蹴って腰を下ろす。汚れます、と彼女は抵抗したが、おっさんの服赤系だから目立たないわよと
無理矢理後ろから抱き寄せた。細くて壊れそうな身体に、俺の中で、得体の知れない気持ちが滲む。

「医者には行った?」
「…はい」
「なんて言われたの?」
「…………」

この状態をユーリに見られたら殺されるな、きっと。

「…本当に、誰にも、言わないでください……」

回した腕にの手が重なる。柔らかい頬が、俺様の胸に寄せられる。
おい、作り物の心臓。勝手に跳ねてんじゃないよ。

「エアル適応障害なんです、私」
「……は?」
「私の身体は、エアルに馴染めないんです。馴染めないから循環もできなくて、体内にエアルが溜まっていって、
 濃度がどんどん濃くなって、内臓や器官を傷つけて…
 最初は身体が少しだるい程度だったけど、最近はもう、こんな感じです……」
「え、ちょ、ちょっと待って」

俺はついていけず、思わず彼女の話を遮った。
テルカ・リュミレースの仕組みのひとつであるエアル。この世界で生きる上で酸素と同じくらい
至極当たり前のもので、慣れるとか慣れないとか、そんな話聞いたことがない。
が嘘をついているとは言わないが、予想外も予想外な応えに、俺の頭の動きはまた鈍くなった。

「エアルに適応できないとか…んなことありえんの…?」

独り言に近い俺様の呟きに、は視線を遠くにやった。


「私が異世界の人間だからだと思います。私の故郷に、エアルはなかったので…」


まるで挨拶でもするようにサラリと言ってのける少女。
だがその台詞が指す意味は、あまりに突拍子で、信じがたいものだった。

「……………いやいや。冗談きついわちゃん。」

けれど彼女は相変わらず笑っていた。唇が血塗られていてもその笑みはとても穏やかだった。
泣くわけでもなく、悔しそうでもなく、赤いものがなければそんな馬鹿なと一笑に付して
しまいそうな落ち着いた様子は、むしろ俺の動揺を無性に煽る。

信じなくてもいい。の無言の示唆に、知らず喉が鳴った。

誰に何を言われようと関係ない。
彼女は、この事実をとっくに受け入れている。
にとって大事なのは死ぬという事実ではなく、死ぬまで、どう生きるかということ。

「…ずっと、皆に言わないつもりなの?」

こんなことでもなければ、一生知らなかったであろう事実。
何故、知ってしまったのが、よりにもよって俺なんだ。神を呪いたい。

「みんな、目的を持って頑張ってる…荷物になりたくないし、どうせなら笑ってるユーリの傍にいたいんです。
 少しでも長く生きて、身体が使い物にならなくなったら消えます。」

ユーリのためじゃない。私がそうしたいんです。

残り少ない時間を有意義なものにする。それが、彼女の旅の目的。
彼らはきっと悲しむはずだ。いや、その悲しみすら、は作らないつもりなのかもしれない。

ああやっぱり神様はいじわるだ。

どうして死にたがりの俺様にその運命をくれなかったのだろう。
俺は生きる意味を見出せない。
は死が近いことを隠したい。
ある意味利害は一致してるのに俺たちは背中合わせ。
神は歪な存在をどこまでも落としたいらしい。

「…見逃してあげてもいいけど、ひとつだけ約束して。」

これは俺様の気まぐれ。
何を思ったか、それは自分自身でもよく分からないが。

「これからは俺様を頼ること。背中摩ってあげるくらい、おっさんにだってできんのよ?わかった?」

大きくて丸い瞳がびっくりしたように俺様を見上げてくる。
ちょっと気恥ずかしくて、抱く腕に力を込めてこっちを見れないようにした。
何してんだ俺。死を意識するもの同士、親近感でも沸いたか?
今日はホント、柄にもないことばかりしてる気がするわ……

「……みんな、おじさまを胡散臭いって言うけど、私はやっぱり、おじさまのこと大好きです。」
「そ、そゆこと言ってくれるのちゃんだけよー。もっとおっさんを褒めてちょーだい!」

動揺を隠すように汚れた口元をハンカチで拭ってあげる俺。大丈夫か俺。しっかり俺。
そもそも仲間内で素直な好意を向けてくれるのはちゃんだけだから、ちょっと情が移ったのかもしれない。
青年はきっと彼女のそういうところに惚れたんだろうなぁ…

「言わないだけで、みんなおじさまが好きだと思いますよ。」
「えー嘘ー。その割には扱い雑じゃなぁい?俺様ないちゃうよ。」
「ふふ、そうですね。」

あれ、なんか恋人っぽくないかコレ。確かにデートって言ったけど、なんか思った以上のことになってる気がする。
つーかちゃんって……こう…柔らかいんだよなぁ……
普段ゆったりした服を着てるから気づかないけど、胸とかけっこうデカい。
ユーリがよくちゃんを抱き枕代わりにしてるの見かけるけど、ああこりゃあ、病み付きになるわ。
柔らかいしあったかいし、すっげー癒される。

「…ねーちゃん」
「はい?」
「時々さ、ちゃんをぎゅーってしてもいい?」

気がついたら俺様の口は勝手に動いていた。だってホント可愛いのよ。おっさんだってちゃんを愛でたい。

「………それ、エステルとジュディスさんにも言われました……ぽっちゃりだから、抱き心地が良いのかな……」

黙って抱きしめさせてくれて、優しい声で好きだと言ってくれる。
だったそれだけのことがどんなに嬉しいか、彼女は知らないのだろう。
…ま、おっさんやユーリは下心が混ざってるけども。

「ハグはストレス解消になるって聞きました。私でよければどうぞ、いつでもぎゅうぎゅうしてください。」

笑顔で真面目にそんなことを言われてしまい、嬉しいやら気まずいやら、どうしていいか分からない。

「んじゃ、遠慮なくハグさせてもらいますよ。…青年の見てないところで。」
「リタもびっくりするかも…」
「あー時と場所選ばないと、おっさん黒コゲになっちゃうわね……」
「あはは、そうですね。炭になったおじさまは見たくないので、是非そうしてください。」

ころころとひとしきり笑った後、は困ったように眉を下げた。
床に投げ出された手は、透き通るように白い。

「…ユーリの役に立ちたくて無理矢理ついてきたのに……最近、みんなといるのも楽しくて。我侭ですね、わたし」

……ちゃん。ちゃん。それは、我侭なんかじゃない。もっと欲張ったっていいのに。
そう言ってやりたいけど、上手く言葉を繋げない。

   ねえ。あの世に行ったら、君をお嫁さんにしてもいいかな?
俺も君も、もう長くない。さすがのユーリも空の上まで邪魔できないだろう。
この世界を抜ければお互いの枷を外せる。あの世でならきっと、何にも気にすることはない。
俺はどうしようもないおっさんだけど、でもちゃんなら、大事にできる自信あるよ。

俺たちはきっと、生きてる限り苦しみ続ける運命だから。

逝くときは君も一緒に連れて行こう。






(このぬくもりを手放すまいと思った俺は、)