ひとりで選んで、ひとりで決める。 それも、強さなのだと。 選んだことも。してきたことも。全て、後悔は無い。 けれど自分で言い出せなかったのは、やはりどこかで怯えがあったから。 どんなに覚悟したつもりでも、ついてきてない何かがある。 「なら、僕も消すか?ラゴウやキュモールのように」 幼馴染によって真実を晒されたことに、少し肩の荷がおりた気分になった。 卑怯で最低だ。自己嫌悪を押し隠し、波に身を任せ漂うままの船上を俺は歩き回る。 俺の所業に加え、ベリウスが死に、ジュディが魔導器を破壊し空へと消えた。 次々と振りかかった出来事に全員放心状態だ。特にベリウスを助けたい気持ちでかけた治癒術が、 結果彼女を苦しめることになってしまったエステルは、いつもしゃんと伸ばしている背中を丸くし、俯いたまま。 カロルもショックを隠しきれず座り込み、気の強いリタも相変わらずの口調だが、やはり動揺を隠し切れない。 立ち止まっている場合じゃない。動かなきゃ、守りたいものは守れない。 「………がいねぇな……」 俺の独り言を拾ったおっさんが、にやにやと場違いな笑みを浮かべて言った。 「ちゃんなら、ほれ、あそこ」 暗い帳が降りた中に映えるピンクの髪と白い髪。 お姫様に可愛らしいマグカップを手渡し、いつも通りふわりと笑う。 湯気の立つそれに口をつけ、エステルは少しだけ、口元を綻ばせた。 そっと2人を見つめているリタの手にも、マグカップが握られている。 「…いつの間に……」 「ほんっと気のつく子よねぇ。…ちゃんも混乱してるだろうに、さ」 エステルと一言二言交わしがこちらに顔を向ける。 「ちゃーん」なんて呑気に手を振ってるおっさんがちょっとムカついて、とりあえず頭を叩いといた。 「ちゃん…青年がいじめる……」 「いい年こいてめそめそ泣くなおっさん」 「おじさま、これで元気を出してください」 は笑いながらレイヴンの前で腰を落とし、お盆を差し出す。 マグカップから良い匂いがする。紅茶、だろうか。 …おっさんが甘いもの苦手だからって、そこまでする必要なんて無いのに。 「ハリーさんもどうぞ。酸味が少ないので、飲みやすいと思います」 「あ、ああ……」 沈んだ面持ちのままだったが、穏やかな声に押されたようにハリーはカップを受け取る。 軽くなったお盆を脇に抱え、は俺を見上げながら笑う。 「中にココアあるよ。一緒に飲もう?」 俺は、無意識に頷いていた。明るい船室に入るの背中が眩しい。 俺の後をついてきて、俺のことを、見守っていた。 皆の様子を見て回るはずが、当の俺も心配されたってことか。 いつも通りだな。……情けねぇ。 人には言えないことをした俺に、皆が言葉を選ぶのは当然だ。 だがになら言えることもある。自身もそれを分かっているから、飲み物を渡しがてら、話を聞いていたのだろう。 は否定しない。叱らない。厳しく諭すことも無い。ただ黙って話を聞いて、そっと抱きしめてくれる。 俺はフォローは出来てもケアは苦手だ。これはにしかできない。彼女の優しさに、どれだけ救われてきたか。 意味ありげな視線を投げかけてくるおっさんを一瞥し、船室に足を入れる。 ドアが閉まる音なんていつも聞いているのに、今はやけに大きく響いた気がした。 「ユーリ、おつかれさま」 理由はどうであれ、俺はやってはいけないことをした。 なのに、いつもと変わらない笑顔を向けてくれるの「おつかれさま」は、 力を抜いてもいい、もう頑張らなくていい、そんな都合のいいように聞こえてしまう。 俺が腰を下ろすと同時に目の前のテーブルに置かれる、美味しそうなココア。 …ああ、こういうところが。どうしようもなく。たまらなくて。 「」 「はい?」 「こっち」 向かいに座ろうとする彼女に、ペチペチと自分の膝を叩く。 「お前が近くにいないと癒されないんだけど?」 拗ねて見せると、は少し頬を赤くして、俺のマグカップの横に自分のものを置いた。 そろそろと歩くその歩幅がもどかしい。手の届く距離になったとき我慢できなくて細い腕を掴んで引っ張り、 飛び込んできた豆柴をしっかりと抱きとめる。 「はー…落ち着くわー……」 「毎度のことながら私は落ち着きません……っ」 「毎度のことなんだからいい加減慣れろ。ほら、もっと寄りかかれって」 横抱きにした小さな体を俺の胸板に押し付けると、「はずかしい」「しにそう」と固くなってしまった。 このままでも可愛いっちゃ可愛いが…望んだモノからは、少し遠い。 「ゆ……ユーリ…っ」 髪から覗くちんまりした耳を、ぱくりと食む。 「…それ、だめだって……いつも…っ」 「んー?そうだっけか」 「しゃ、しゃべらないで……っ」 「わりぃ、何言ってるかわかんねぇや」 無理矢理力を奪われたは、息遣いも荒く俺の服を掴む。 …これ以上は俺がやばいな。腹の底に浮かんだ欲を誤魔化すように、十分柔らかくなった彼女の腰と肩を強く抱きこんだ。 「……………」 ここまでのことをしておいて、なのに俺はに想いを告げられない。 は実は人見知りが激しくなかなか心を開かないが、好きだと思った人間にはどこまでも懐が深い。 恋人紛いのことをしているのは、俺だけなのか。 フレンやレイヴンにも、同じようなこと、許してるんじゃないか。 「…お前も、悪い男に捕まったな……」 「ユーリ?」 「罪人なのに……お前と一緒に居るの、止められねぇ……」 怖くてちゃんとした言葉を口に出来ない上に、抱きしめるこの手は汚れている。 のためを思うなら、離れるのが筋だろうに。 「ユーリ」 頬に、暖かい手が添えられる。 「ユーリ、私を見て」 の大きな瞳に、泣きそうな、情けない俺の顔が見えた。 誰も知らない、俺ですら初めて見た、子どもみたいな俺。 前線で戦っているとは思えない華奢な指が、俺の手をそっと包み、彼女の胸元へと導く。 押しつけられた感触に、心臓が跳ねた。 想像していたよりも柔らかくて、暖かい。 「…ユーリは優しくて、仲間思いで、責任感と正義感が強くて、いつも誰かのために頑張ってる。 ユーリは悪い人じゃない。ユーリは、自分勝手な理由で剣を振るう人じゃない」 とくん。とくん。彼女の鼓動が、無骨な手のひらに伝わってくる。 格好悪い俺を前にして、はいつも通りあどけない笑顔。 血に汚れた手をも包み込み、受け入れ、全部ひっくるめた上で、彼女は優しく紡いだ。 「私が、その証拠です」 耳の奥に、激しい雨音が蘇る。 湯を飲むことすらできなかった死人のような少女。医者に何度、今夜が峠と言われたか。 ふっくらした体も。 鈴を転がすような声も。 お揃いのブーツに包まれた足も。 得物を扱う腕も。 お気に入りの柔和な笑顔も、豆柴のような性格も、この優しい指も、彼女は、全て俺のおかげだと言う。 …買い被り過ぎだろ。普通のことをしただけで、俺が特別なわけじゃない。 「…………お前は……あまり、俺を甘やかすなよ………」 「普段たくさん頑張っているからいいの。だから、あの……」 俺は彼女が言うような立派な恩人じゃない。ずるい位置からちょっかいをかけるような男なのに、は、自ら体を寄せた。 「み、耳は恥ずかしいけど……ユーリの気晴らしになるなら、抱き枕でも何でもしてください……っ」 どうやら俺がかなり弱っていると思ったらしく、忠犬全開である。 他でもないのおかげで随分と気は軽くなっていたが、あえて口に出さず、肩を抱く手に力を込めた。 「なんでも、ね…」 「ユ、ユーリ…悪い顔になってる……」 「いやあ、魅力的な言質だなぁと」 早まったかな…そう呟いて、追い詰められた子犬のように縮こまる。 …ホント、こいつは俺のことなんだと思ってるんだ。 白い頭を軽く叩いて、適温になっただろうココアに口をつける。 「前から気になってたんだよな……」 戸惑った瞳で見上げてくるに苦笑しながら問う。 「これ」 「?マグカップ?」 「の中のココア。色々試したんだけど、どうやってもこの味作れなくってさ。レシピ、教えてくれよ」 という存在の次に癒される、程良い甘さのココア。 こっそりレシピを解明しようとしたが、似たような味になりはしても、これだと思えるものは作れなかった。 追求するあまり、惚れた故に脳が舌を変えたのかと、思い込んでいた時期もあったほどだ。 しかし最近になって、エステルやカロル、味に頓着しないリタまで笑顔にさせる ココアだとわかり、また俺はあれやこれやと考えるようになっていた。 「特別なことはしてないんだけど…」 作った手順を思い出しているのか、口元に手を当て首をかしげる。 こんな何気ない仕草すら可愛いと思ってしまう俺は、よほど惚れこんでいるらしい。 「まあ、無意識ってこともあるからな」 「そうだね……。…………」 俺の傍にいることは多いけど、でもいつもってわけじゃない。この底なしの優しさに触れたい人間は大勢いる。 旅を始めた当初は、視線を少し動かすだけで彼女がいた。だが今は、エステルやおっさんやら を可愛がりたい奴らに囲まれてることが多くなった。 の世界が広がっていく。かつてを思えば喜ばしいことのはずが、俺は素直に喜べないでいた。 「夜に無性に飲みたくなる時があってさ。自分で作れたら、お前に手間かけさせることもないし」 を感じられるものが、少しでも欲しい。 女々しい理由をオブラートに包みまくって零し、カップを元の位置に戻す。 丸い輪郭をそっとなぞると、大きな瞳が大きく震えた。 「今度、作るところ見せてくれよ」 白い頭に唇を寄せる。外に跳ねる毛先が、俺の吐息に少し揺れた。 なんだか良い匂いがするし。柔らかいし。暖かいし。 おまけに好物の飲み物つきだ。俺はすっかり腑抜けて彼女に甘える。 もそり。あまりの密着度に慌てたのか、赤い顔で見上げてくる。 そんなの前髪を唇でかき分け、覗いた額に音を立ててキスを落とした。 彼女は必死に腕を突っぱねようとするが、俺が逃すはずもない。閉じ込めたまま、目尻に浮かんだ涙を舌で掬う。 「あ、あの……っ、ココア…の……つくり、かた………」 「何か思い出したか?」 「…その…………あの………っ」 決定的なことをなんとなく避けていたため、舌を使ったことはない。 明らかに度を越している俺の行動に翻弄されながら、それでも生真面目に応えようとする。 だが初めて味わう感覚に、控えめな睫毛が怯えるように震えている。 …少しでも、意識してくれるといいんだけどな。 我が儘な企みを隠しつつ、彼女の言葉を待つ。 「ごめんなさい……なんでもって言ったけど………ココアは、だめ………」 けれど紡いだ台詞は、羞恥心と混乱に染まった表情とは相反していた。 「……そうかい」 あわよくば俺がココアを淹れて、2人きりの時間を作ろうと目論んでたのに。 これが彼女と俺の温度差か。悔しくなって耳の穴に舌を差し入れると、面白いほどの体が跳ねた。 逃げようとするのを抑え込み、声と一緒に息も流し込む。 一筋、目から滴が零れ落ちる。綺麗だった。俺に振り回されてる姿が可愛いとも思った。 「お。いい反応」 「やっ…、み、耳、だめだってば……っ」 「せっかくのお願い断られて傷つきましたー責任とってくださーい」 「だ、だって……!」 思うように抵抗できないは、途切れ途切れながらもなんとか口を動かす。 「ユーリの、息をつける飲み物くらい、私が作りたいのっ………見たら…ユーリならきっと、同じもの作れるように なっちゃうから……それじゃあ…ユーリが、休めないよ……」 上ずった声で俺のことばかり言われて、思わず四肢が固まった。 『普段たくさん頑張っているからいいの』 ついさっき言われたことが、改めて俺の心臓を鷲掴みにする。 恐る恐るの顔を覗き込むと、それはもう、一生のお願いをしているかのような表情だった。 「…俺、けっこう好き放題やってるぜ?」 「その分、みんなことも考えてるもの……だからせめて、私の前ではゆっくりしてほしいなって」 今度は俺が熱くなる番だった。そんなつもりじゃないと分かっていても、湯だった脳みそが、 が自分の特権を主張していると、そんな風に考えてしまう。 彼女曰く、俺は働き者だから休む時くらい遠慮なく甘えてほしい。頼ってほしい。 ちょっかいをかけて反応を楽しんでる今のこれが、すでに甘えきった状態だというのに。 なのにの中では別のことらしく、とにかく気を使うなと懸命に訴えてくる。 「……私、どんなユーリでも、だいすきだよ。 あまり一人で頑張らないでね…手伝えることがあったら、言って」 俺の服を握りしめ、キスをせがむような上目づかいと共に落とされた、爆弾。 そうじゃない。俺はただ、お前を独占したいだけの男なのに。この豆柴は、本当にもう。 告白されてるんじゃないかと勘違いしても、誰も俺を責めない………と思う。 顔を近づけたら、また悪戯されると思ったのか、きゅっと瞼を閉じる。 思わず桜色の唇に目をやってしまう。ふっくら弾力がありそうで、無意識に距離が縮まっていく。 どんな味が、するだろう。 美味しそうなものを前に喉が鳴る。 胸の音がうるさい。体中が熱い。頭がぼーっとする。 「………」 さすがに唇を重ねたことはない。触れたら、どうなる? 我慢できるだろうか。念願の少女を前に、止まらなくなりそうな気がする。 夢中になって、貪って、そして 俺はきっと、のすべてを食い尽くす。 そこまで想像して、全身に巡る血液が沸騰したのを感じた。 悶々としたものばかりが頭を過ぎていく。違う。まだ、早いんじゃないか。 の中で俺はまだ恩人のままだ。それが彼女にとって特別な枠であっても、俺の望む『唯一』ではない。 「………………………」 何も急ぐことはない、時間ならたっぷりとある。 ゆっくり口説き落として、俺だけを見るようになってから。 ただえさえ色々すっ飛ばしてるのだから、本当に大切なことはなし崩しにしたくない。 小さな唇から無理矢理目を逸らし、丸い頬に俺のものを押し付ける。 それだけでも驚いたようで、は慌てて目を開けた。 「」 「は、はいっ……あ、あの、ええと……」 「久々に一緒に寝るか」 「え、あ……う、うん……」 ココアのことを断った手前か、動揺を滲ませながらもは受け入れた。 下町時代はよくの布団に俺が転がり込んだりしたが、最近はすっかりご無沙汰だ。 以前はなんだかんだで同衾していたのに、旅が始まってからは妙に遠慮がちになっている気がする。 ……俺は、誰に誤解されたっていいんだけどな。 虫よけになるし、を独り占めできる。これほど一石二鳥なことはない。 もう一度、頬にくちづける。ちゅっと唇を鳴らすと、恥ずかしそうに下を向いた。 「…なんでも、いいんだろ?」 少し目が泳いだが、ややあって小さく頷いたのを見て、礼の代わりに頭を撫でた。 つい早まった真似をしないよう心がけながら、欲に流されるまま髪や顔を愛撫していく。 みんなに可愛がられている豆柴も魅力的だけど。 俺の行動ひとつひとつに反応している腕の中の少女は、それ以上に愛らしい存在だ。 今は「恩返し」でいい。だが願わくば、彼女から強請って欲しいと思う。 …はやく、俺のところに落ちてこい。 場所がベッドに移っても、俺は一晩中、飽きることなくに触れていた。
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