彼女のそばに居られるのなら、どんな形だっていい。 そう、思っていた。 「イクス、この後一緒に出かけようか。」 リンゴジャムがたっぷり乗ったトーストを無心に頬張る彼女に、コンヴィクはいつも以上の笑顔で続ける。 「美味しいものがいっぱいあるよ。りんごの他にも、甘い野菜、酸っぱい果物…たくさん、食べさせてあげる。」 イクスはトーストを銜えたまま、勢い良く振り返った。 先程の無関心は何処へ行ったのか、紅く大きな猫目が爛々としている。 「たふぇぼっ」 「ああ、きっと、食べきれないだろうなぁ」 「ぶっ!」 「よし、じゃあ今日はとっておきのドレスを出そう。」 「銜えたまま喋らせんなよ…つうか、何言ってるか分かんねえんだけど、俺。」 上司の後ろに居たにも関わらずうっかりジャムが飛んできたロイスは、不愉快そうに顔をしかめた。 野暮用があって猫の朝食に付き合っているのだが、やはり、彼女と居るとロクなことがない。 「行くならさっさとしろよ。夕方には城に戻んないと、後が怖いぞ。」 今日の外出は予定外のことなのだ。色んなものを詰めたり省いたり背負ったりしてやっているのだから、 これ以上遅れが出ようものなら、ロイスの脳みそは弾け飛ぶ。 「なんだ、野暮なことを言うなよ。せっかくのデートなのに…」 「たふぇぼっ!」 「…。」 最早何から突っ込んでいいのか分からず、ロイスは明後日の方向を向いた。 今回の外出はデートではない。 この忙しい中、そんなことさせてたまるか。 この国の穏やかな天候により、あらゆるものが豊作続きだ。だがそんな中、ワインだけが値上がり続けている。 恐らく一部の悪意ある人間が葡萄の値段を吊り上げているのだろうが、生憎先日の視察だけでは、 犯人を特定する情報が得られなかった。 そこで、コンヴィクがお忍びで街に下りることになったのだ。 …実のところ、こういう仕事はもっぱらロイスが請け負っており、王であるコンヴィクが自ら動くことは当然少ない。 だがたまには街の様子を見てみたい、あとイクスに街を見せてやりたい(恐らく後者が本音)という 本人たっての願いで、今回のお忍びが実行されることとなった。 「今日のドレスはね、君にしか着れない、とっても可愛いドレスなんだよ。 胸元を切り抜きの花で大胆に飾って、アンダーのピンクとも、上着の赤とも、どちらの花とも取れる、 我ながら渾身の出来でね…型取りには苦労したけど、その分とても愛らしく仕上げられたんだ。」 「たふぇぼっ!たふぇぼっ!」 だがやはりか、この態度を見るに、彼にとってデート以外の何者でもないらしい。 そして猫にとっては、食べ物を確保することだけが目的で、それ以上も、それ以下も考えていないらしい。 「たふぇぼって…もしかして、食べ物、か…?」 相変わらずトーストを口から離すことなく、猫はぶんぶんと首を縦に振る。 猫語が…分かってしまった…… 朝からどっと疲れてしまい、ロイスは蚊の鳴くような声で呟く。 「とにかくさっさとしろよ…俺、もう、知らねぇからな…」 有益な情報を掴んできてくれれば、何だって良い。 相変わらず能天気な上司とそのペットを、できるだけ視界内に入れないようにしながら、 ロイスは何度目になるか分からない長々としたため息を吐いたのだった。 *** いつもコンヴィクの作る服はどこか少女趣味が入っているが、本日の服はまさに集大成と言えた。 ふわふわ揺れるリボンやらスカートやらで、まるで歩くドールと化している。 それでも彼女の好みを考え、靴をヒールの無いゆったりとしたパンプスにしており、 猫が嫌がらない範囲で、最大限に飾りつけたそのちゃっかりさに、ロイスはまたも頭を垂れた。 「政務にも、それくらいの力を出せよ……」 猫をめかし込んでから自分の支度をしに行くなんて、いよいよデートとして本気じゃないかあの男。 肝心の猫は、服よりも食べ物で頭がいっぱいのようなので、そこだけが救い…だと思いたい。 「ああ、お待たせイクス。」 へらへらと笑いながら降りてくる彼に、いや、俺も待ってたんだけど、なんて苦情は通じない。 通じないと分かってはいるがやはり気が済まないので、黒い頭を軽く拳で殴り、金色の瞳をじっと見据えてやった。 何だかんだ言いながらも目的を忘れはしないだろうが、物見遊山を前面に押し出されるのもやはり腹が立つ。 「痛いな…」 「証拠掴んでこなかったら、コレの数倍な。」 「お土産にエロ本買ってくるから、許してくれよ。」 「媒体より本物ほしいわ……」 人肌が恋しい…独り言のように呟いて、フラフラ執務室に戻る哀れな右腕にの背中に、 国王陛下は「騙される被害者が減っていいじゃないか」と笑顔で追い討ちをかけた。 ロイスが色々と引き受けてくれるおかげで(事後承諾)好きなことをできているのだから(彼は許可した覚えは無い)、 コンヴィクはこれでも感謝しているつもりである(でも止められない止まらない)。 今度差し入れでもしようかな…と部下を気遣う上司のようなことを考えるが、彼が欲しいものは仕事の能率上昇ではない。 休日という癒しの時間である。無意識に人を追い詰めることに関しては、コンヴィクはとても上手かった。 「…ヴィク?」 「ああ、ごめん。行こうか。」 見上げてくる猫目にふにゃりと笑顔を返し、コンヴィクは歩き出す。 が、イクスは首を傾げたまま、やはり彼を見据えたままだった。 「イクス?」 城下の食べ物をあんなに楽しみにしていたのに。何かあったのか。 怪訝そうな顔をしてついてこない少女に、今度はコンヴィクが首を傾げる。 「ヴィク」 「ん?」 「…ヴィク?」 「……どうしたんだ、イクス。」 別に怒りはしないが、名前だけ呼ばれて怪訝そうな顔をされると、こちらもつられて眉を顰めたくなる。 飼い主の低い声色にちょっとトラウマが蘇ったのか、イクスは慌てて思っていたことを訴えた。 「色がちがう。だから、ヴィクかなって。」 「…色……ああ、そういうことか。」 黒髪に金色の瞳。コンヴィクお決まりのお忍びスタイルだが、そういえば、彼女はこの格好を見たことが無かった。 普段は薄い黄銅色の髪に翠玉のような色の瞳だから、声と外見が合っていないことに混乱したのだろう。 「これは変装だよ。」 「へんそう?」 「デートだから、イクスとお揃いにしようと思って、ね。」 国王という立場ゆえの防衛なのだが、良くも悪くも平等な世界観の彼女に説明しても、ますます首を捻るだけだろう。 「…?目の色ちがう。わたし紅いけど、ヴィクはきんいろ。」 「んー、似合わないかな?」 痛いところを突かれ苦笑してみせると、イクスはじーっとコンヴィクの金色の瞳を見つめた。 感覚に似合う言葉でも捜しているのか、ゆらゆら首を左右に揺らし、引き結んだ口の中で「んー」と小さな唸り声を上げる。 そんなに悩むことなのか…コンヴィクが凹みかけたとき、彼女は唐突に「あ」と叫んだ。 「夜の空の星に似てる。暗い中で輝いてて、きれい。」 イクスの顔は、目の錯覚かもしれないけど、笑っているように見えた。 笑顔というよりドヤ顔に近いかもしれないが、でも少なくともいつもの仏頂面ではない、少し緩んだ表情。 「ヴィクが星なら、わたしは”きゃんぷふぁいやー”かな…」 黒い前髪から覗く金色だから、星と例えたのだろう。 ならば自分はと想像して”きゃんぷふぁいやー”と考えた彼女の思考回路に少し笑えて、少し、顔が熱くなった。 ロイスはこの少女のどこがいいのかと、よく鼻で笑っているが、こういうところが良いのだと、コンヴィクは言い切れる。 彼女の中で難しいことなんて何もない。答えを出すのも、余計なものに迷わない。 いつだって懸命に真っ直ぐな言葉を口にする。コンヴィクの中で、これ以上の美徳があるだろうか。 「そうだね…イクスは、炎だ。」 「わたし、もえてる?」 「消火されるまで止まらないないから、イクスにちょうどいいかな。」 星なんていいものじゃない。それは、自分がよく分かっている。 でもそう言ってくれるのなら、せめて彼女の前だけは、それらしくいよう。 「さ、行こうか」 「ん。」 小さな手を取ると、無防備にも握り返してくれた。柔らかな感触がコンヴィクを優しく刺激して、甘い感情が広がっていく。 かつて親友は言った。そんなに欲しいのなら、力づくでもモノにしてしまえばいいと。 できないことが分かっているくせに挑発するなんて、本当に性質が悪い男だ。 できないというより、したくない。それは彼女の昔の記憶が無いことに便乗した我侭。 地位も金もある。彼女をある程度自由にできる環境もある。笑顔を作るのだって、もう苦痛じゃなくなった。 だからここから違うスタートを始めればいい。昔のことを知っているのは、自分だけで十分だ。 「イクス、なに食べたい?」 「くだもの!」 「じゃあ葡萄かな。もぎたてをもらえるといいなあ」 手を繋いでデート、だなんて。これだけでも、夢を見ているような幸せだ。 何も急くことはない。その理由も無い。 ただただ、こういって一緒に日常を楽しめれるだけでいい。 「じゃあ、葡萄畑へゴー。」 「ごーっ」 これ以上なんて望まないから、この小さな幸せがずっと続きますように。 らしくもなく、縋るように願っていた。 そんな懺悔で、過去から逃れられるはずがないのに。 ←BACK NEXT→ 10/01up |