君に花を

手荒に扱えば壊れてしまいそうだったから。
失うことを恐れた俺は、いつまでも二の足を踏んでいた。

が傍に居てくれるのなら、どんな形だって良い。そう言い聞かせて。





丸い月がぽっかりと浮かぶ夜。
その日は運良く宿の個室が取れ、仲間はそれぞれ部屋で羽を伸ばしていた。はずだった。
夕食を終えベッドでうとうとしていたところに、無遠慮なノックが響く。

「せいねーん」

ドアの向こうから間延びした声。…いつもふざけているが、今夜は一層うっとうしい。

「酔っぱらいは帰れ」

酒に呑まれたレイヴンに関わるとロクなことがない。
それなりに苦い経験をしてきたため、俺はドアを開けることもなく言い捨てた。

だが「うーん」「困ったねえ」と呟くばかりで、立ち去る様子はない。
うっとうしいが、ここで開けると意味がない。
いつまでもそうやってろ。ごろんと寝返りを打った背中に、楽しそうな声がかかった。

「そんなこと言っちゃってもいいの?おたくの可愛い彼女が泣くわよ?」

下りかけていた瞼が一気に軽くなった。
飛び起き、鍵の下りていたドアを開け放つ。

「うおっ」
「ユ、ユーリ…」

勢いに驚きのけぞったレイヴンの背中から覗く、白い髪。
見え隠れするは表情はいつもと変わらないが、目がとろんとしている。視線もどこか定まっていない。
隠れるように羽織を掴む姿は可愛らしいけど、俺は、そんなことされたこと無い。
悔しさと怒りが這い混ぜになり、柄にもなく声を張り上げた。

「酒飲ませたのか?!」
「ま、間違えて飲んじゃったのよ」

驚く暇も与えらなかったレイヴンは慌てて弁解する。その後ろでも必死に首を振っている。
あーもう、そんなに首振るともっと酔いが回るだろうが。
ため息を吐くと、迷惑をかけていると思ったのかは肩を萎ませた。…ますます可愛い。が、よろしい状況じゃない。

「ほんと、ちゃんのことになると、なりふり構わないのね」
「…………」

反省の色が全く見えないこのボンクラ男を殴り飛ばしたいところだが、それは明日の楽しみに取っておこう。
無言での腕を引っ張り、気に入らないおっさんから剥がす。

「おっさんは巣に帰れ」
「ひ、ひどい!」

そしてわめくレイヴンを遮るように、ドアを閉めた。

    だから。

「………ま、死ぬ前の美しい思い出ってことで」

冷めた表情で呟いていたことを、知るよしも無い。






「ごめんなさい……」

酔っても変わらない遠慮した態度に、少しだけ安堵が湧く。

「…お前がすすんで飲むわけないからな」

怒鳴ったのを詫びるように頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
いつも俺がべったり甘えているけど、今日は逆だな。

「明日、早いんだろ?目覚まし代わりになってやるから、一緒に寝ようぜ」

明日からは故郷に帰るため、しばらく俺たちとは別行動になる。

この話に一番焦ったのは俺だ。レイヴンが連れてこなければ、自分から会いに行くつもりだった。
馬鹿みたいな話だが、抱き枕に甘えられない生活など考えられない。
今のうちに。存分に。会えない分までを補給しておきたい。

「ほら、ベッドに入るぞ」
「…………」

を誘う手間と理由が省けた。そこのところは、おっさんに感謝しないでもない。
ベッドに座らせ、マフラーとケープを床に落とし、帯の結び目も緩めてやる。
邪な気持ちを抱かないと言えば嘘になるが、酔った女の子をどうこうするつもりはない。好きな子だから、尚更。

「ユーリも脱いで?」

こてん、と。上目づかいで首を傾げる
うっかり喉が鳴るが、ちがう、はそんなつもりじゃない。ただ楽な格好を勧めているだけだ。
どんなに露骨な事をしても、独占欲を剥きだしにしても、いつも俺の一方通行で終わる。
所詮、自分の立ち位置はいつも保護者止まり。だから勘違いしそうな言葉も、彼女にとって他意は無い。

「んな顔してると、食っちまうぞ?」

動揺を押し隠し、意地悪な笑顔を浮かべてみせる。
だがは、眉ひとつ動かさなかった。

「…ユーリなら、本望だよ」

いつもなら慌てて否定するのに。
むしろ俺の手を取り、細い指でなぞる。

「食べていいよ。ユーリの、好きなようにして」

突然。なにを、言ってるんだ、こいつは。

「………っ、素面で聞かせてくれよ。馬鹿なこと言ってないで寝るぞ」

けれどは手を離さない。大きな瞳を潤ませ、問う。

「やっぱり私は…そんな風に、見れない?」
「何言って、」
「大人っぽいほうがいいなら、並べるように頑張るから、だから……っ」
「おい!」

言葉と感触に耐えられず振りほどくと、一瞬目を丸くしたあと、顔を、悲しそうに歪ませた。
しまった、やりすぎた。今にも泣きそうな彼女を前に、心臓の早鐘が止まない。

「…そうだよね。ユーリは、私なんて……」

酔っている。泥酔している。わかっているのに。
だが酔っぱらいの戯言としても聞き捨てならない、彼女の言葉。

「…誰が、何だって?」

思ったより低い声が出た。

「俺がどれだけ……」

我慢してるか。
喉まで出かかっているのを、かろうじて押し込む。
前髪を優しくかきあげ、額に軽い口づけを落とした。

「ユーリ」

嬉しそうな声がする。俺を見る目が、期待に満ちている。

「………おわり」

味わってしまえば戻れないと分かっている。だから、大切にしたい。

これだけ深く酔っているのなら、今夜のことなんてほとんど覚えていないだろう。
ぽんぽんと頭を撫で、口端を上げる。

「おやすみ」

しかし、酒の力とはいえ、こんな夢のような誘いをしてくるとは。
ちょっとは意識してもらえてるのか?…ちょっと、ニヤニヤが止まらない。
何を考えてるのか、じっと俺を見ている。こうしていると、いつもと変わらない素面なのに。
…そう思った瞬間、襟元が引っ張られた。

         っ?!」

唇に柔らかい、熱いものが、押しつけられた。

「……っ」

甘いものが口の中に流れ込んでくる。
くらくらと、頭に霞がかかる。

、」

の瞳が、近い。

「私、ずっと、ユーリとしたかった」

     何を?
首に細い腕が絡みつく。
酒の匂いと、の香り。



理性を総動員して絞り出した声は擦れていた。
本音かどうかも分からない言動に振り回されている。
彼女のためを思うなら、はなれないと。

「私じゃ、だめ?」

…可愛らしい豆柴が、性質の悪い小悪魔になった。
普段甘えない彼女が体を寄せている。欲しくてたまらなかった言葉をくれる。
甘えろつっても甘えてこないくせに、いざおねだりしたらこれか。…本当に、性質の悪い。

熱を帯びた視線から逃げられず固まっている隙に、再び、重なる唇。
の上ずった声が、理性を焼き切った。

ついばむようなキスを、深く、嘗め回すような行為に塗り潰す。

「ふっ…?!んぅ…っ」

後のことなど考えられなかった。ただ、目の前の甘い存在を、貪りたい。

「…ユー…リ…」

俺だけに反応する。なにもかもが熱い。茹るようだ。
ここまでされて保護者ヅラを保てる奴がいるなら、見てみたもんだ。

「あっ…ま、まって……っ」

焦ったように白い指が黒髪に絡まる。
の顔を窺うと、いやいやと首を振っていた。

「お風呂、入りたい…」

待てと言うから怖くなったのかと思いきや、気の抜けるような、どうでもいい主張。

「もったいないこと言うなよ」

の匂いを思う存分堪能できるなんて、想像するだけでもヤバイのに。
それを落とすなんて冗談じゃない。逃がさないよう自分の身体ごとベッドに押し倒し、豊かな胸元に指を這わす。

「あ、汗が……みっともない、から…やだ……」
「コラ。暴れるな酔っぱらい」
「やっ……私こどもっぽいから、ちゃんとしないと…っ」

少し悪戯をしただけで、肌がじんわりと汗ばんでいる。
これからもっと、色んなところが濡れていくってのに。
女の子らしい恥じらいは、今の俺には煽っているようにしか見えない。

「さっきから大人がどうとか…何を気にしてるんだ?」

童顔なのに巨乳とか、俺は大好きだけど。
女心はそう単純じゃないのか。

俺の問いかけに、は恥ずかしそうに俯く。

「……だって、ユーリの相手はいつも大人の女性だから…」

心臓を、鷲掴みにされたかと思った。
その言葉の指す意味は、俺が一番、よく知っている。

……下町で過ごしていた頃、こっそりそういう相手と会っていた。
言い訳になるが、男には避けられない生理現象がある。
特に好きな子とひとつ屋根の下となれば、どこかで発散させないとまずい。

がそれを知っていたとは。
そしてそれを、そんな気持ちで見ていたなんて、一言も言わずに。

「だから、少しでも…ユーリに似合うように、なりたいの」

破壊力のある言葉に思わず手を止め、シーツに突っ伏す。

「…お前な……」

呆れた声をどう受け取ったのか、は懸命に理由を並べ立てた。

「一緒に寝ても、私は死にそうなのに、ユーリはいつも余裕で……
 私が子どもだからだよね…だから、手をだそうなんて思えないんだって」

違う。お前のほうこそ俺のことを保護者としか見てないんじゃないのか。
だから俺が何をしたって、顔色一つ変えないで。

夢でも見ているのか。

はいつも大人しくて、我が儘なんて言ったことなくて、憎らしいほど皆と平等に接していて。

「…私、ユーリになら、何されてもよかったのに……」

俺は、何回こいつに殺されたらいい?
なんだよ、襲ってもよかったのかよ。かなり悶々としてたんだぞ。

遠慮して、押し殺して。俺の前では笑顔を作り続けて。
きっとこれが本音だよな?…いや、この際、酔っぱらいの虚言でもいい。
の奥底に踏み込む機会なんてそうそう無いんだ。

「むしろ、我慢してたんだからな」

これでもを大切にしてきたつもりだ。
それは、これからも変わらない。

「じゃあ、お風呂、はいってくるね」

話は済んだとばかりに、俺の下から抜け出そうとする。…このマイペースは、やはり酔っぱらいだ。
だが、火のついた身体がいまさら獲物を逃すはずもなく。

「コラ」

…ここで食わないとか、据え膳もいいところだ。

傷も何もないきれいな首筋に食いつき、吸い上げる。
湯を浴びたら酔いが覚めるかもしれない。素直なうちに、色々仕込んでおかないと。

どうせ酒が抜けたら独占できなくなる。独占してもらえなくなる。

が正気に戻る朝が怖くないと言えば、嘘になるけれど。
でも、目の前の少女だって、なにもかもが偽りじゃないだろう。
多少なりときっと本音も混じっているのだと、蓋をしてきた感情が、熱を誘う。


自分の気持ちを正面からぶつけてくる、見たことのない、積極的な

独占欲なんて持ち合わせていないような、大人しい、いつもの


…その間にあるものに、気づけていたのなら。





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