貴方に花を ドリーム小説

ずっと、蓋をしていた。

だから見えなかった。気づけば、溢れて、零れていた。もう蓋じゃどうにもならない。足元を濡らす、欲望。
足を取られ動けなくなり、私はうずくまって耳を塞いだ。
見えない。聞こえない。気のせいだと。
ほんの少しやり過ごせば、この世界ごと消えてなくなるから。

全部、なかったことにすればいい。






…あたたかい。なにか大きなものに包まれていて、心地良い。
まどろみながら目を開けると、目の前には、好きな人の寝顔。

「……っ?!」

最近は避けていたはずなのに!
思わず飛び起きると、肩からユーリの腕が落ちた。…続く先は、どこまでも肌色。
肌寒さを感じて恐る恐る見下ろすと、自分も衣服を身につけていない。
床に点々と散らばる二人分の服が、全てを、物語っている。

「…あ……」

窓の外を見るとまだ薄暗い。明朝あたりだろうか。静まり返った空間が、怖くてたまらない。
必死に思い出そうとするも、昨夜の記憶が、抜けてしまっている。

「…う…そ…」
「……ん……?」

寝ぼけ眼が、私を見上げている。
慌てて胸元を隠すけど、それよりも早く、彼の口端が上がった。

「ユ、ユーリ」
「…なにしてんだ」
「………っ」

腕を引かれ、ユーリの腕に閉じ込められる。
ぐちゃぐちゃで頭が回らない。

けれど、これは、きっと、そういうことなのだろう。

自分のものでないような違和感のある身体には、数えきれないほど紅い印が刻まれている。
ああ、そうか。この身体は、本当に、私のものじゃなくなったんだ。

なんて、ことを。
目の前から消える人間が、していいことじゃない。
これは間違いだ。何の意味もない、跡だけが残る行為。

「コラ、なんて顔してんだ」
「うっ」

むぎゅっと鼻をつままれる。
ユーリの身体の感触が生々しくて、私は固まったまま動けない。

「…こっち見ろ」

拗ねた声と一緒に、見たことのない表情で覗き込んでくるユーリ。

「やっと、俺のもんになったんだから」

寝起きの擦れた声にいちいち胸が弾む。
恐る恐る顔を上げると、思ったより近くに、射抜かれそうな瞳があった。

「んっ…?!」

ユーリの唇と、私の唇が、重なった。
…夢だ。こんなの、夢に違いない。

一糸まとわぬ姿で抱き締められたり。
キスされたり。
それ以上のことをしたり。

こんなこと、現実にあるわけない。

「……夢、よね。これ」

解放された刹那、願望が口をつく。
だって、ユーリはいつも違う人を見ていた。
私は彼の背中を追いかけることぐらいしかできなくて。

これは夢。
夢で、終わらせないと。

「用意、しなきゃ。部屋にもどるね」

優しいから。妹のような私に大変なことをしてしまったと、きっと、気にするだろう。
だからちゃんとしないと。笑って、覚えてないって、言うんだ。
なんとなく、そうなってしまっただけ。そこに意味なんてない。

しいて言うなら、ユーリは男で、私は女だったから。軽い気持ちだった。
何もなかったことにするのが、きっと、一番いい。

押しのけると、意外にも簡単に彼から抜け出せた。
…寒くなったような気がするけど気のせいだ。
震える手で散らばった服を拾い、適当に腕を通す。

(…あれ……?)

薄闇の中いくら目を凝らしても、肝心なものが見つからない。
中途半端な格好のまま探し回る勇気もなく、どうしようかと俯いた時。
思わぬ声が、私に降りかかった。

「…お嬢さん。探し物は、これ?」

大きな手が掲げている小さな布きれ。
よりにもよってユーリがそれを持っていることに、どっと、顔が熱くなった。

「き、きたないから返して…!」
「ん?だーめ。今夜のオカズにするから」
「おっ…」
「ま、今に始まった話じゃないけどな」

楽しそうに、私の下着を眺めているユーリ。
目のまわりそうな台詞に、頭がついてこない。

「……お、おねがい…返して…」

消え入りそうな懇願も、届いている様子は無く、笑って一蹴される。

「本体が素直じゃないから、付属品を使うしかないんだよ」
「………っ」

下着がないとズボンを履けない。
かといって丈の短い上だけで廊下を歩くのは恥ずかしい。
…つまり、ここから帰す気は、最初からなかったんだ。

。こっちおいで」

すぐに返してもらえばいい。
そう自分に言い聞かせ、おずおずとユーリのいるベッドに近づく。

「よっ…と」
「あっ」

ニヤリ、と。憎らしい笑顔を浮かべて、あっという間に私の腰を捕まえる。

「あっ!」

そして肝心の下着を遠くに放り投げられる。

「い、意地悪…!」
「なあ。素直になれよ」
「やっ、あ」

首筋を、熱い唇がなぞる。記憶がなくても、体が覚えているらしく、ぞわぞわと得体の
知れないものが背筋を走った。

「…いや、か?」
「そんなこと!……、………っ」

寂しそうな声に即答してしまって、もう、逃げ場がない。
夢で終わらせなきゃ。だって、私は死ぬのに。

「夢にされちゃ困るな。…ずっと、好きだったんだから」

私の考えを見透かしたような言葉。
どんどん現実味を帯びていくユーリの熱。

「お前も、俺のこと好きだろ」

どこかで聞いたことのある声色。甘ったるくて切ない。

脳裏に、昨夜のことが微かに蘇る。
全て甘かった。ユーリのことしか考えられなくて。熱くて。嬉しくて。
鼻にかかった声で呼ぶと、ユーリは、笑ってくれた。

どうなってるの。これは夢?私は、なにをしたの?
たしか、ジュースを飲みながらレイヴンとお喋りをしていて、それから、
思い出せない。何故、ユーリとこうなってしまったのか。



答えを促され、固まる。
…私の恋心なんて、重いだけ。
今日は、みんなとお別れする日。たった数時間さえやり過ごせば。

「………………」


ちゃんはそれでいいんだ?


優しい、冷たい声が、脳裏によぎる。
逃げようとする私を捉えて、囁く。
懸命に蓋をしていたものを掻き立てる言葉。
これは恋情じゃない。もっと黒くて、みにくい。
固く閉じた瞼に、レイヴンの口元だけが映る。


青年が他の女に触れられてもいいってわけね。


胸の奥が焦げていく音がする。
下町にいた頃何回も感じた痛み。
私は、もうすぐいなくなるんだから、嫉妬なんて。

…」

好きだ、と言われた。
好きだろ、とも言われた。

追いつかない。分からない。

「……っ………」
「!あ、おい」

泣いてもしょうがないって分かってるのに止まらない。

「ご、めんな、さ」
「あー…いや、悪い。急かしすぎた」

ちゅっ。濡れた瞳にキスが落ちる。

「昨日のこと、覚えてるか?」

黙って首を振る。
じゃあびっくりするよな。困ったような顔で、私の頭を撫でてくれる。

「おっさんが間違えてお前に酒を飲ませちまったんだよ。
 で、自分より俺のほうがいいって連れてきたんだ」

駄目だ。思い出せない。かろうじて思い出せるのは、レイヴンの言葉と、おぼろげな最中の映像。
断片的なものしか拾えない。

「好きな女に甘えられたら、そりゃもう、据え膳ってやつだろ」

また、口づけが落ちる。
ただ重ねてるだけなのに、なんでこんなに甘いんだろう。



ユーリの視線が、体全てに絡みついているような錯覚に陥る。
緩やかにまわる毒の様な。
きっと、私は今、みっともない顔を晒してる。

「なあ、無理させないからさ。ちょっとだけ堪能させてくれよ」

ユーリの指が、今まで触ったことのないところまで伸びてる。
甘い感情が、警告音を覆っていく。
ずっと、ずっと欲しくてたまらなかった。でも諦めていたものが、目の前にある。

あらがう方法が、もう、思いつかない。


私は、本当はどうしたいんだろう。



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