地響きとともに視界が揺れる。 頭の中がぐちゃぐちゃで、考えることすらままならない。 おじさまが。レイヴンさんが。甘えるばかりで、胸に抱える悲しさに何一つ気づけなかった。 彼の何を見ていたんだろう。私を巻き込んででも望んでいたこと。でも私はここにいる。結局一人ぼっちにさせてしまった。 私を抱えるユーリのぬくもりが、今はつらい。 「うう……レイヴン……」 「…やっぱり仲間だったんじゃない……バカ…バカ……!」 「なんでじゃ、こんな……」 重なるか細い泣き声に、ユーリの腕の力が強くなる 「ぐずぐずすんな!エステルを助けるんだろうが!とっとと走れ!」 「……さあ、早く」 フレンさんの穏やかな声に背中を押され、年少者たちは無理やりに足を動かした。 …肝心な時に私は何をしているんだろう。 何が起きているのか、状況すら飲み込めない。 「損な役回りね。ユーリ」 「…別に。実際ぐずぐずしてられないだろ」 おじさまを一人にさせて。 エステルが苦しめられているのも知らなくて。 ユーリに、背負わせてしまって。 「…ユーリ。もう、大丈夫だから。みんなと先に…、……っ」 最後まで言えないうちに肩を抱く手に痛いほどの力がこもる。 ユーリは何も言わず、みんなの後を追って走りだした。 最も恐れていたことが、現実になった。 大好きな人を失ったやりきれなさも相まって、私は唇を噛む。 目的も、目標も…私を支えていた全てが崩れていく。 私は……どうすれば、いい? 空っぽの胸が、痛い。 「ユ、ユーリ・ローウェル?!何故ここにいる?!それにフレン殿も?!」 「ルブラン?!それにデコとボコもか」 外に出た直後、顔なじみの三人組と出くわす。 下町にいた時から顔見知りだった騎士だ。 ユーリの呼称に相変わらず反応する部下をいさめ、ルブランさんは困ったように頭をかいた。 「フレン殿、我らがシュヴァーン隊長を見ませんでしたかな?単身、団長閣下と共に行動をされたきり、 まるで連絡がつかんのです。どうも最近の団長閣下は何をお考えなのか……親衛隊は何も教えてくれんし。 あちこちあたってみて、やっとここまで来たんでありますが……」 敬愛する隊長のために、少ない情報を頼りにここまで来たんだ。 …この3人は。好きかどうか聞かれると微妙だけど、隊長を一途に尊敬している言動だけは好感があった。 「…アレクセイは帝都に向かった、ヘラクレスでな」 ユーリの低い声。ヘラクレスとは船の呼称だろうか。そこに、エステルもいる? 「なんと、入れ違いか?!それでシュヴァーン隊長は…」 「レ……シュヴァーンは僕たちを助けてくれたんだ」 「おお、そうか!で、今はヘラクレスか?」 「……神殿の中よ。一番奥」 ジュディさんが静かに指でさした直後、くぐった轟音が響いた。 おじさま。声にならない声が、口の中で消える。 「え……?」 「ちょ……お……」 「…まさか、おい、そうなのか、そんな!どういうことなんですフレン殿?!」 ああ、ここ、神殿だったんだ。そんなどうでもいいことが頭に浮かんぶ。 「アレクセイのせいで私たち死にそうになったのよ!それを助けてくれたのが、あんたらのシュヴァーンよ!」 「俺たちはアレクセイを止めに行く。あんたらも騎士の端くれなら、頼むから邪魔しないでくれ」 3人組は力が抜けたように膝をつく。敬愛する上司を失って、絶望する姿。 「…早くしないとヘラクレスに逃げられるのじゃ」 「急ぎましょう。バウルを呼ぶわ」 言うな否や、竜の声が空に響いた。クジラのような青い巨体が、船を下げて降りてくる。 「……そんな……なにがどうして………」 我先にと船に乗り込んでいく仲間たち。 最後についたフレンさんが、3人組を追い抜きざま、ぽつりとこぼした。 「あの人は……本当の騎士だった」 死に場所を求め、ユーリたちに斬りかかったシュヴァーン隊長。 けれどフレンさんには、それ以前の、部下が尊敬する隊長主席の記憶もあるのだろう。 以前のことも。今さっきのことも。全てをひっくるめた上で、本当の騎士だ、と。 「…おじさま……」 私も。何をされても、おじさまは、おじさまのままだ。 大好きな、レイヴンさんだ。 だから、どんな彼であっても、失いたくなかった。 項垂れる騎士たちを残して、船は高く舞い上がる。 おじさまを閉じ込めた遺跡が、どんどん小さくなっていく。 「…シュヴァーン隊長はずっと、騎士団長の懐刀と言われてきた。騎士団でもその姿を 見ることは滅多になくて、任務も極秘のものばかりという噂だった」 「その懐刀すら、アレクセイは捨て駒にしたのね」 「奴の計画が大詰めを迎えたってことだろうな」 極秘の内容、それは”レイヴン”としての活動。 ギルドの仕事と共に、エステルのこともずっと見張ってたんだろう。 エステルはエアルを乱す満月の子。アレクセイ騎士団長は計画とやらにエステルの体質を利用してる。 「おっさん、ずっと死に場所を求めてたらしい。そこを利用されたんだろうな」 「……魚が腐ったような奴じゃの、アレクセイ」 エステルだって、死ぬことを覚悟するまで己の事実に抗っていた。 仲間もみすみす死なせやしないと、頑張っていた。 アレクセイ。それらを踏みにじってまで成さなきゃいけないことなんて、あるのか。 「…立てるか?」 「大丈夫…ありがとう……」 ゆっくりおろしてくれるユーリ。しばらく密着していたせいか、少し寒く感じた。 もう会うことはないと思っていた人と、また一緒にいる。 顔を見ると、温もりに触れると、焦がれる様な感情が波打つ。 おじさまがいなくなってしまったのに。 エステルが苦しんでいるのに。 こんな時でも好きな人に反応してしまう自分が浅ましくて、唇を噛んで湧き上がるものを抑え込む。 近いから、ダメなんだ。離れてしまえば。覚束ない足取りでユーリと距離を取る。 「」 けれど、大きな手が離れる私を捉えてしまった。 …逃げられないと分かっているのに。 やめて。踏み入れないで、と。悪あがきが止まない。 いつもは優しいアメジストが、今は鋭くて、冷たい。 「 なんて答えていいか分からなくて、喉が息を吸う。 ユーリの目を見れない。それは、暗にやましいことがあるということで。 「そうよ……アンタにも聞きたいこといっぱいあんのよ!もう時間が無いって、どういうこと?!」 「病気って言ってたけど、う、ウソだよね?」 「先が無いから、私たちから離れた…ってことかしら」 おじさまのこと。エステルのこと。そして、私のこと。 たくさんのことが起きて、混乱している皆が次々と畳み掛ける。 黙っていても得策じゃない。でも、言ったところで、この状況が解決するとも思えない。 「……いつだ」 それは、私にとって、一番聞かれたくないこと。 この世界に落ちた時から、未来は切り落とされていた。 …言えるだろうか。寝床を譲って懸命に介抱してくれた彼に。 「いつからだ!」 向けられたことのない激しい怒号だった。 今起きていることは私の想定外。何もかも考えていた範疇を超えていて、情けないことに息をするのすら苦しい。 ひとつ、誤算があったとすれば。 それは他でもない、私自身の、意志の弱さだ。 もっともっと強く在れたなら。みんなを動揺させることはなかった。 「…落ち着くんだユーリ。一気に聞かれても、どうしていいか分からないだろう」 「落ち着いてられるか!下手すりゃ失うところだったんだぞ!」 やんわりと庇ってくれるフレンさんの声が、今は痛い。 泣いちゃだめだ。泣くのは卑怯だ。本当に悲しいのは私じゃない。 こんなどうしようもない事実を知ってしまった仲間に、何か言わないと。 「だんまりか。そうやって……苦しんでるのも知らずに、俺は呑気に甘えてたって訳か」 「…ち、ちが……ユーリは………」 誰も何も悪くない。私の甘さが、この事態を招いたんだ。 考えろ。 考えろ。 保護者してしての愛情。 あの夜の、責任。 ユーリを、私から、解放しなきゃ。 「?」 気が付いた時には、右手に、指輪を握っていた。 無意識に抜き取ってしまったらしく、日の光を反射して輝くそれを、ぼんやり眺める。 ……これが、私の答えなのかもしれない。 怖いほど冷えた頭が、お前にその資格は無いと、囁く。 声に促されるまま今度は私がユーリの手を捕まえる。 たくさん触れてくれた、大好きなその手に。指輪を落とした。 「…ッ、!」 顔を見ると堪えているものが溢れてしまいそうで、ゆるゆると首を振る。 視線を落としたまま、また、彼から距離をとる。 「……ごめんなさい……本当は、私じゃ、ダメなのに」 私はたくさんの間違いを犯した。 受け取ってはいけないものを、たくさん持っている。 断らなきゃいけなかったのに、できなかった。有りもしない未来を想像してしまった。 「…………まさか、俺が同情や責任感で指輪を渡したとか思ってないよな?」 低い、唸るような声。 ユーリが私を好きだなんて、あるわけない。 指輪は優しさと義務。でも、その通りだと言える雰囲気じゃなくて、四肢が固まる。 けれどそんな私の様子で見抜いてしまったのか、ユーりは傍にあった樽を殴りつけた。 「好きな女だから手ぇ出したって言ったよな?」 「…………っ」 「ユーリ!待て!」 「じゃあどんな言葉並べりゃいい?どうやったらお前に伝わる?!なんで、お前は…っ!」 フレンさんに抑えられながら叫ぶユーリは、今までに見たことのない、ユーリだった。 …私は、何をまちがえたのか。 「………私には……なにも、ないから…………」 未来も。価値も。時間も。 だから、責任なんて取らなくていい。 私のことなんて考えなくていい。 「…………なんで……そんなこと、言うの………」 ぼろぼろと、栗色の瞳からとめどなく涙が零れ落ち、船板に斑点を作る。 「みんなと一緒にアイス食べようって約束したじゃん!まだ、僕とラピードの約束残ってるよ! 何も、無くなんてない!」 カロル君の涙は透き通っていて綺麗で。その横で、隻眼の瞳が、私を見上げている。 美味しそうに食べていた2人が、昨日のことのようによみがえる。 「何もない、ね……俺のやってきたことも、お前の中では何も無いことになってるわけか」 「………………っ」 違う。私にとってユーリは、誰よりも、何よりも大切な人。 この苦い想いは死ぬまで消えない。 「……本人が良いって言っているのなら、仕方ないわね」 「ジュディス?!」 「はきっと、ずっと前から覚悟していたのよ。治療法でも無い限り…難しいでしょうね」 思わぬ助け舟に、ほっとしたような気持ちが胸に広がる。 見つかるかどうかも分からないものを探すよりも。助けることができる人を、助けてほしい。 私はもういい。 十分生きた。十分、楽しかったから。 「……待ってくれ」 騒然とする中、握りしめたユーリの手に見慣れない銀色の手甲が被さる。 見上げると、彼の性格を現したような金糸が、風に揺れていた。 「ユーリもも受け取れないだろ?これは僕が預かっておく」 「フレン、さん…?」 「…フレン」 ひったくる様にユーリの手中からもぎ取り、力強く握りしめた。 「。病名はエアル適応障害。……間違いないね?」 真っ直ぐな瞳に、頷くのがやっとで。 彼は、こういうことを軽々しく言うべきではないけど、と前置きして。 ゆっくり息を吐いた。 「その病気なら、治るかもしれない」 飲み込めず、ただフレンさんを見つめる。 彼は迷いながらも、しっかりした口調で続ける。 「ど、どういうこと?!あんた、何か知ってるの?!」 「心当たりがある。騎士団守秘外の研究で……その症状を回避する方法も調べられていたはずだ エアル適応障害は、この世界の人間じゃない故にエアルに対する耐性が弱く、体内にエアルを留めてしまう …ずっとエアル酔いしているようなものだ。当然、体には悪影響しかなく、内側から少しずつ損壊していく。 医者にもあまり周知されていない、未知の病気だ」 淀みなく並べられる間違いではない事実に、仲間も、そして私も、息を飲む。 「この世界じゃないってどういうこと?!」 「…テルカ・リュミレースではない世界がある、ということかのう…?」 「そ、そんな…異世界なんて、そんなの聞いたことない…!」 突拍子もない単語に驚く仲間と同じくらい、心臓が跳ねて落ち着かない。 異世界。それは誰にも話していない、私しか知らないはずのこと。 彼自身未知だと言っている希少な病気を、どうやって、そこまで知り得たのか。 「…もしかして、病気の原因は騎士団が関係しているのかしら?」 「今は……はっきりしたことは言えない。だが……だから、まだ諦めちゃ駄目だ」 騎士団?研究?回避?…治る? 呆然としている私の肩を掴み、幼い子供に言い聞かせるようにフレンさんは言った。 「この先何があるかわからないから、君はここに残るんだ。 戦闘は身体の負荷になる。もう戦うのは止めたほうがいい」 犠牲になったっていいと思ってた。それが幸せの礎になるなら、独りきりでも寂しくないと。 突然降って湧いた希望に、全く頭がついていかない。言葉が出てこない。 「、僕からもお願い。ユーリも、レイヴンも、みんなが思っている以上にのこと好きなんだ! エステルだって……が死んじゃうのは、嫌だよ……!」 「……カロル、くん………」 もう、私だけの問題じゃない。一人で抱えて消えることができる、そういう次元じゃなくなった。 でも。だからって。何もしなくていいの?そんなの。だって。みんな頑張っているのに。 エステルは、もっと辛くて苦しいのに。守られているだけ、なんて。 「…私………」 残ったら。これから激しい戦いになるのに戦力が減って、その分みんなの負担が増える。 戦ったら。エアルの影響は避けられない。耐えられず死ぬかもしれない…みんなの、目の前で。 ……選べない。わからない。 「待ってる、だけ、なんて……」 今までずっと脇目も振らず駆け抜けてきた。 走ることを止めるというのは、もうこの身体が動かなくなったということと同じだ。 「…… 黙って成り行きを聞いていたユーリが、突然私の腕を掴み、強引に引っ張っていく。 「ユ、ユーリ?」 「ユーリ!あまり手荒な真似は……!」 「聞き分け悪いから言い聞かせるだけだ!」 言い聞かせる。まるで子どもを相手にする親のようだ。 私は…ユーリを困らせることしか、できないのかな。 緩んだ涙腺がまた視界を濡らす。私は。私は。ユーリを守りたかった。それだけなのに。 船室に連れ込まれ、ドアが乱暴に閉まる。 空が高いせいか、壁越しに風の音だけが響いている。 …無音。手をつないだまま、こちらを見ないユーリに、心臓が委縮してしまう。 離れようとしたら、強く握り返された。痛い。 「…ユーリ……?」 「……この、頑固者」 ぽつりと呟いた言葉は、とても寂しそうに聞こえて。 私がそうさせたのだと。理解するのに、時間はかからなかった。
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