海の宮殿、その最奥。 流れる海水に囲まれたその場を閉ざしていた扉が、開く。 ユーリたち、そしてフレンさんの騎士団なら必ず此処にたどり着ける。そう、信じては、いたけれど。 実際にその姿を目にするまで、胸に巣食う不安は消えなかった。 「アレクセイ!」 「!」 大好きな人たちが、目と鼻の先にいる。 マフラーに顔を埋め、駆け出しそうな衝動をぐっとこらえた。 「揃い踏みだな。はるばるこんな海の底へようこそ」 彼らと私を遮る騎士団長と親衛隊。 たったこれだけのことで、仲間たちとの距離が、遠い。 「そこまでですアレクセイ。これ以上、罪を重ねないで」 「これはエステリーゼ姫ご機嫌麗しゅう。その分ではイエガーは役に立たなかったようだな」 私はアレクセイの横でどかりと腰をおろし、あぐらをかいていた。 ユーリがいるのに。今の私は何も許されない。それが、腹立たしい。 「……死んだよ」 部下の悲報に、アレクセイは鼻で笑った。 「最後くらいはと思ったが、とんだ見込み違いだったか」 死とはそんなに軽々しいものだったか。 身に巣食う病の影響か、私は死を恐れたことは無い。 しかし、死にたいとも思わなかった。全て終わってしまうから。 「そうやって他人の運命を弄んで楽しいかしら?」 私の人生もすっかり変わってしまった。 極々平凡な高校生だった。生と死をそう意識することは無く、学校と家と、 ほんのちょっぴりの寄り道が生活の全てで。 あのまま故郷にいたままならば、こんなに、何かに強く焦がれることはなかっただろう。 「……どうしてこんな、笑顔を奪うようなやり方しかできなかったんです? あなたほどの人なら、もっと他に方法が……」 「理想のためには、敢えて罪人の烙印を背負わねばならぬ時もある。ならば私はそれを喜んで受け入れよう」 アレクセイの理想と、私の欲望。 どちらが、強いだろうか。 「私は世界の解放を約束する!ちっぽけな箱庭の帝国から、生まれ変わるのだ!!」 言葉通り世界を呑み込む大きな理想だ。 こんな奴に色々なものを握られているかと思うと、ぞっとする。 けれどもう引き返せない。 走るしかない。選んだ、この道を。 「世のためだろうがなんだろうが、それで誰かを泣かせてりゃ世話ねぇぜ。 てめえを倒す理由はこれで十分だ!」 「どうあっても理解しないのか。変革を恐れる小人ども。だが全世界のエアルは我が掌中にある。勝ち目は無いぞ」 「よく言うわ。あんたそれ、まだ術式の解析中でしょ」 リタがアレクセイの眼前にあるモニターを指して言い放つ。 「こいつ、まだザウデの制御、完全には手に入れていないのよ」 「…リタ・モルディオか。なるほど、これは迂闊だったな」 ごぅん。 アレクセイと私のいる場所が上昇し始める。 「みんな、跳べ!」 ユーリの一喝に、それぞれが地を蹴った。 一人欠けることなく上り続ける巨大エスカレーターに乗り込む。 さあ、そろそろ私の出番だ。 「立て」その言葉に、のろのろと腰を上げた。 「私は忙しいのでね。彼女にお相手願おうか」 刀を、抜く。 刀身は私の淀んだ瞳を写し、光る。 「……!」 右手には刀。 左手には鞘。 アレクセイを庇うように、その身を晒す。 「や、やだよ…」 「…っ」 無言で切っ先を突きつけると、エステルとカロル君がたじろぐ。 エステルの時のように、嵌められ、操られているわけではない、私の行動。 それが優しい仲間たちを混乱させていることは分かっている。 何も思わないわけじゃない。けれど、それをいま表に出すのは愚策。 この場に微笑みは無用。 必要なのは熱い感情だけ。 「……」 ユーリが、剣をかまえた。 どんなに強請っても手合せで本気を出してくれなかったユーリ。 けれど今は真っ先に武器を携え、真っ直ぐに私を射抜く。 そう。彼は、そういう覚悟を備えた人だ。 「一緒に帰るぞ、!」 その言葉と共に踏み込んでくるユーリ。 帰る。私は、帰れる?ほんとうに? 幾重にも壁を作ったはずの想いが溢れて、少し視界が潤んだ。 ユーリはいつだってそう。揺さぶって、私の埋もれた感情を拾う。 甲高い音が、私の刀を腕ごと弾き上げた。 気が付けば黒い狼はすぐそこに。油断を突かれた私は半歩後退し踏みとどまる。 彼の後方ではみんなも得物を持ちこちらに向かってくる。 「…させない!」 空いた腹に一発。蹴りを入れ、ユーリの勢いを殺す。 そして仲間たちに鞘を振り回した。 「時間稼ぎをする。それが、私の仕事」 たたらを踏んだユーリが、にやりと笑う。 「豆柴がいっちょまえに言うか」 「……舐めないで。足止めくらい、容易いわ」 エレベーターが、頂上に到着する。 四方に通路が渡され、そこから親衛隊がなだれ込んでくる。 「う、うわあ!こんなに?!」 「くっ。数が多い…!」 先ほどまで静かだった場が、途端に騒がしくなった。 けれど喧騒の中。それでもユーリは迷うことなく私を、アレクセイを見据えている。 かつてはこの手に持つ刀が彼の血を吸うことに恐怖した。 でも今は。そうしなければ、進めない。だから。 「本気になって!」 躊躇っていては駄目だ。鞘を投げ、ユーリが避けた先に刀を突きだす。 寸で交わし流れる黒髪がさくりと切る感触がした。 突き出した刃をそのまま薙ぎ払おうとすると、刃幅のある剣がそれを受け止める。 ならば。鞘で彼の太ももを殴りつけ、押し切る。 「 体勢を崩したユーリの前で、膝を折り屈み、肘鉄を脇腹に叩き込む。 「ぐ、あっ」 「青年!」 光の矢がユーリに降り注ぐ。癒しの力。 おじさまがユーリに駆け寄り、背中を支える。 「大丈夫ちょっと!」 「おっさん……… 「……………………!」 「 おじさまが、厳しい面持ちで私を見る。 「そういうわけね……」 矢を番え、私に向ける。 「おっさんも元気ってとこ、見せないとね」 「後は任せたぜ」 「あいよ、大将」 微かに聞こえる彼らの会話に、私は目元を緩ませた。 ああ。ようやく。待ち望んだ時が来る。 どうであれ、その時まで私は全力を出すのみ。 「やあああっ!!」 刀と鞘を握りしめ飛び上がる。振りかぶる。 視線の先のユーリは引き締めていた口端を持ち上げ、そして。 自らの剣を地面に突き刺し、空手になった。 「 思わず振り下ろす手が止まった。 なに、してるの、この人。 固まった私の身体を。 「ゆ、り…」 腰に回った腕は力強い。 色んなものを躊躇した一瞬、首元に何かが奔った。 「?!」 エステルの声がする。でも衝撃には叶わず、私の身体は後ろに倒れていく。 視界の真ん中には、首に刺さった矢が空に向かって伸びていた。 ああ、撃たれたんだ。 壊れる音を聞きながら、武器が手の平から零れていく。 「なんで…レイヴン、なんでを撃ったのさ?!」 ユーリの手が背中に回る。 刺さった矢を、優しく引き抜いてくれる。 喉の奥が痛い。せりあがる様な、とどまっているような。 はあ、と大げさなため息が吐かれる。 「……やれやれ。弾除けにもならないとは。失望したよ」 ピッ。モニターがもう一つ展開された。 「せめて一人でも巻き込んでくれたまえ」 そしてボタンを押した。のだろう。 でも、何も起きない。 訝しんだアレクセイがもう一度音を鳴らす。 ピッ。ピッ。 思ったような反応が無いと分かるや、やがて、苦々しげに吐き捨てた。 「何故爆発しない?………まさか、あの矢は」 私は、笑った。 笑えた。 心の底から。 意地悪な笑みを、顔に乗せた。 「おじさまが、壊してくれたの。うっとおしい首輪から解放してくれた!」 首を絞めるように嵌められたそれに指をかけ、力いっぱい引っ張る。 がしゃん。魔核を貫かれた魔導器はバラバラに砕け、床に落ちていった。 アレクセイに付き従う。そう決めた私に架せられたのは、爆弾が埋め込まれた魔導器だった。 相応の働きをしなければ、文字通り首が飛ぶ。 その戒めがある限り、私は手を抜くことはできなかった。 「…が首元を見せるように戦ってたからな。俺が動きを止めて、おっさんが射抜いたのさ」 ちょっと分かりづらかったけどな。 そう言って苦笑するユーリに、私は小さく「ごめんなさい」と呟く。 「、ほ、ほんとに大丈夫?」 「怪我は無いです?」 心配そうな顔をしてる2人に、笑ってみせる。 「アレクセイ。私には、私の馬鹿に付き合ってくれる仲間がいる」 身体を起こし、刀と鞘を拾う。 二本の足でしっかり立って、背筋を伸ばして、全ての元凶である男に武器を向けた。 ひとりではどうにもならないと悟った、あの時。 まず、死にたくないと思った。 戻ると言った約束を果たしたいと思った。 仲間と、ユーリと、あんな形で別れたままは嫌だと。強く、後悔した。 だから私は、みんなの力を借りようと、無い知恵を振り絞った。 「私ひとりじゃできなかったことでも、みんながいるなら……越えられる!」 大きな手が、私の背を支えるように押す。 振り返らなくてもわかる。このぬくもり。私の最愛の人。 「行くぞ、」 「はい」 寝返りの、寝返り。 この人の元に生きて帰るためなら、どんな泥だってかぶれる。 肩を並べる私たちを前に、団長は心底忌々しげに舌打ちした。 「新世界の生贄にしてくれる……来い!!」 正直、全身鉛のように怠いし、頭は痛いし、胸も苦しいけれど。 こんな風に意図的にテルカ・リュミレース呼ばれエアルに苦しむ人を、もう生み出さないために。 もう少しだけ。私の身体よ、持って。 ユーリたちの未来を、作りたいの。 |