君に花を




2日後。ようやくユーリは解放された。
騎士たちに憎まれ口を叩きつつ、急ぎ足で宿屋に向かう。
おかみやラピードがいるとはいえ、寂しい思いをさせているのは違いない。
それにユーリ自身が早く少女に会いたかった。殺風景な牢屋。話の通じない騎士。いい加減、癒されたい。

魔核が光る噴水を抜け、長い階段を降りきると、おかみと聞き慣れない声がユーリの耳に入ってきた。

おかみに重なってこちらから姿は見えないが、穏やかな女性の声で、どことなく品がある。
どこかの貴族が気紛れに来たのか。軽い気持ちでおかみの背中に声をかけた。

「下町にそぐわない綺麗な声が聞こえるな。どっかのお嬢さんでも来てんのか?」
「あらまあ、ユーリ!」

おかみが振り返る垣間、短い白髪が見えた。一瞬自分が拾った少女かと思ったが、彼女の髪は長いし、何よりまだ声は出ない。

「やあっと帰ってきたのかい。全く、無茶ばっかりするんじゃないよ。」
「おいおい俺が悪いのかよ。あっちが大人しくしてくりゃ、俺だって事を荒立たせたりはしねぇよ。」

おかみの脇からラピードがひょっこり顔を出した。「よ、相棒。久しぶりだな。」頭を撫でると「わふう」と目を細めて応える。
どうやら不在の間、目立ったトラブルは無かったようだ。のんびりした雰囲気に密かに安堵する。

「なあ、アイツ大丈夫だったか?俺らからすりゃ日常茶飯事だが、怖がらせたよな…」
「あんたと一緒にしないでおくれ…。ま、そこら辺は本人に聞くのが一番じゃないかい。」

おかみがそう言って親指で自分の肩越しを指す。指の先は上ではなく、下。
足の怪我のせいで、彼女はまだ外に出たことがなかった。
ユーリに抱かれ窓から下町を眺めるのが、彼女にとって唯一、外の世界との接点だったのだが。

「そこにいんのか?」

珍しく目を丸くしているユーリに、おかみは鼻息も荒く笑う。
そして踊るようにステップを踏んだ。

「ふふん。聞いて驚け、見て驚け、だよ。」

おかみが塞いでいた視界がひらくと、ちょこんと樽に座っている子どもがいた。

大きな黒水晶の瞳とその面差しには、見覚えがある。部屋に置いてきたはずの少女だ。
長かった髪は肩上でばっさりと切られ、おかみのお手製か可愛らしいワンピースを着ており、
ユーリの知っている彼女とどことなく雰囲気が違う。

「……おい、髪…」

言いたいことは色々あったが、情けないことにまず出たのがそれだった。
だがここまではほんの序章に過ぎなかったことを、ユーリは次の瞬間思い知ることになる。
少女は彼の姿を見とめると瞳の輪郭を崩し、


「ユーリさん、おかえりなさい。」


鈴を転がすような声と一緒に、溢れんばかりの笑顔で出迎えた。

「…………………。………………………………。」

ユーリは自他共に認めるクールな性格である。焦っていても顔にあまり出ないし、また相手に悟らせることも少ない。
だが、今回ばかりは、思考回路がもれなく止まった。
とても優しく穏やかで、落ち着いた声色。何回も何回も、頭の中で繰り返す。
誰の声か、と理解する前に、じわりとしたものを感じた。

呆然と突っ立っているユーリに、少女は座ったまま頭を下げる。

「自己紹介が遅れました。私の名前はです。…出会った時、殴ってしまってごめんなさい。」

大きくてまん丸な瞳が真っ直ぐユーリを見上げてくる。
いつもと同じ仕草。けれどそこに声を添えただけで、ユーリは言い知れない戸惑いを感じた。

「それでも助けてくださって、本当に感謝しています。ありがとうございます。」

ラピードにも、おかみさんにも、ずっと言いたかったんです。やっと伝えられた。嬉しい。

両足を揃え、背筋をしゃんと伸ばし、にこにこ笑みを絶やさない。
重い頭をなんとか動かしておかみを見ると、少女  

以上に満面の笑みを浮かべていた。

「あんたが連れられていってすぐ、声が出せるようになったんだ。
 私はまさに!その瞬間に!立ち会えたんだよ!どうだい羨ましいだろう?!」
「ガウッ」
「何の自慢だよ……」

騎士なんか放っておけばよかった、惜しいことをした…なんて意地でも口にはしない。

「あんたに元気なとこを見せたいって言ってねぇ。今日あたり帰ってくるって聞いてたから、張り切っちゃったよ。」

つまり、やはりかワンピースはおかみ手ずかららしい。どうりで色々凝ってると思った。
ピンクと若葉色の配色が眩しく見えて、どうにも気分が落ち着かない。
まだまだ整理しきれない頭のまま、ユーリはとりあえず小柄な身体を抱き上げた。

「ゆ、ユーリさん?!」
「…んじゃ、せっかくだし堪能してくるわー。」

おかみやの抗議の声を聞き流し、宿屋の階段を上る。
相変わらず軽いが、かつてのことを思うと肉付きはとても良くなった。喜ぶべきなのだろう。

だか、しかし。なんだかいつもより弾力を感じるのは気のせいか。
介抱で毎日触れていた身体なのに、今まで何も思わなかったのに、今回に限って腕の中の
ぷにぷにとした柔らかさに、意識が集中してしまう。
…これ以上こうしていると色々危険な気がする。
足を速めると、伝わる振動が大きくなったのか、はユーリの服にしがみついてきた。
……落ち着け俺。コイツはまだ子ども。俺は大人。stop犯罪。

そんな悩めるユーリの後ろを、ラピードが悠々とついてくる。
こいつ、一番いいポジションなんじゃないか…と思ったが、口に出すと負けな気がした。


***


「よっこいせっと…」

口はぶっきらぼうながら、ユーリはを優しくベットに降ろす。
跪き靴も脱がしてやろうとすると、彼女は恥ずかしそうに身を捩った。

「あ、あの、靴くらいは自分でできますから…」

ちょっとやりすぎたか。己の無意識の行動に内心焦りながらも、「悪い悪い」と小さな頭を撫でた。

「しかし驚いたな。何で出るようになったんだ?」
「その…、なにがって訳ではないんです。突然、自然と出るようになって…」

白い頬を赤に染め、恥ずかしそうに俯く。ユーリは椅子を引いての正面に腰をおろす。
続いてラピードが二人の間に伏せ、耳を立てた。

開けた窓から風が流れ込み、短くなった彼女の髪をさらりと撫でる。
髪先が遊ばれるのを見て、ああ、短くなったんだなと改めて感じた。
ちょっと猫毛の髪を毎朝梳くのが小さな楽しみだったのに、それももうできないなと、ぼんやり思う。

「ユーリさんには、本当にどれだけお礼を言っても言い尽くせないです…たくさん良くして頂いて、嬉しかった。」
「…大したことしてねえよ。それよりも、せっかく声が戻ったんだ、足も早いとこ治さないとな。」
「そう、ですね…」

彼女の声色を想像したことはある。けれどユーリの予想では、もっと幼い、無邪気なイメージだった。
けれど現実はどうだ。しっかりとした言葉使いで、穏やかさの中にも芯がある。
この子は本当に子どもなのか。
声だけを聞くと、大人と会話している気分だ。

「………私、足が治ったら帝都を出ます。」

微かに目を丸くしたユーリにかまわず、は続ける。

「適当に路銀稼ぎながら、方々を回るつもりです。いつまでもご迷惑かけられませんから。」

声の出なかった頃は、意思疎通として仕草も大振りになっていた。だから、幼く見えたのかもしれない。
けれど今は逆だ。いや、これが本来の彼女なのかもしれないが、ユーリは戸惑いを隠せない。
たった数日の間に、知らない女の子なってしまったかのような気持ちが、胸の中で渦巻く。
回復は喜ばしいことなのに素直になれない。なぜだろう。

「方々って…当てはあるのか?」
「いえ、まだ。ただ、ハルルには行きたいですね。大きな花の木がどんなものか、間近で見てみたいんです。」

突然の変化に頭が追いつけないが、一つだけ確実に分かることがある。
すでに、ユーリが庇護すべき存在ではない。雨に打たれてボロボロだった彼女はもう、いないのだ。

ユーリは説明できない焦りに駆られた。
ささくれ立った心を癒してもらおうと家路を急いでいたつい先程のことが、遠い昔のように感じる。
このままだと近い将来にはいなくなる。そうなるとラピードと以前の生活に戻る。
もう食生活を気にしなくてもいい。ベットを独り占めできる。夜中に出ようが明け方に帰ろうが、構うことはない。

前までの生活がいかに自由であったか記憶を辿ってみるが、どれも色あせた風にしか思い出せない。
帰りを待つ人が居ない。一緒に食事する相手がいない。
それは、想像するだけで、こんなに寂しくなるものだったのか。ユーリは知らず口を尖らせた。

「…いい同居人だって、思ってたんだけどな。」

気がついたらそんなことを言っていた。随分拗ねた声色で、自分の事ながらこんな声が出せたのかと驚く。

「迷惑だから出てくってんなら却下だな。寧ろ居てくれたほうがありがてえ。
 あんたに飯を作る。あんたと菓子を食う。それが、いつの間にか俺の娯楽になってたみたいだ。
 だから居てくれないと困る。あんたは、俺の唯一の楽しみなんだよ。」

思わず口を着いて出た願望。考え無しに言った台詞だが、後悔はない。全部本音だ。
彼女の自立精神を尊重してやりたいが、生憎、一人暮らしに戻るという選択肢は、ユーリの中には無かった。

「わ、私、そんなことを言っていただけるほど、面白い人間じゃないです。本当に真面目だけが取り柄で……っ」

顔を真っ赤に染めて、しどろもどろに否定しながら視線を泳がせる
ユーリが帰るまでに身の振り方を決めている、そのちゃっかり具合は某幼馴染と同じ匂いがするが、
彼と違ってには小憎たらしさが無い。寧ろ一歩引いた控え目な姿勢は、とても好ましい。

あわあわと焦っている彼女を前に、ユーリは悲しげに窓の外を見やり、呟く。

「いたいけな子ども囲って不埒なことするつもりはねぇよ。
 …ま、俺みたいな奴が言っても、説得力ないだろうけどな……。」

が大きく息を呑む音が聞こえる。真面目との自己申告は嘘ではないらしく、
ああ、うう、とこの上なく慌てた声が小さな口から漏れた。
こんな時ばかり頭の良いユーリは、とどめに物憂げなため息をつく。
案の定、彼女は策に嵌った。内心腕を広げて待ち構えているとは露とも思わず、は捲し立てた。

「そんなことありませんっ。ユーリさんはとても良い人です。優しくて、格好良くて、素敵な人です。」

即座に並べられた賛辞に耳が痒くなる。…ちょっと、煽りすぎたか。
だが特に恥らう様子もない目の輝きを見るに、ユーリはようやく彼女の元々持っていたモノだと悟るが、時すでに遅し。

「私、ユーリさんが好きです。私でユーリさんのお役に立てる事があるなら、喜んでしますから。
 だからどうか、卑下なさらないでください。誰が何と言おうと、私はユーリさんのことが大好きです。」

止める間もなく真っ直ぐな好意を向けられ、ユーリは柄にも無く頬が熱くなるのを感じた。
相手の性格を利用しようとしたら、余計ものまで引き出してしまった。どえらいカウンターである。
恋情ではないと分かっているが、面と向かって堂々と好き好き連呼されて、素面でいられる奴がいるなら是非とも会ってみたい。

策士、策に溺れる。

茹だった脳内に、そんな言葉が浮かんで、消える。
ラピードは「あふぁ…」と特大の欠伸を吐きながら、2人を見上げている。

ああ、本当に。真面目で、素直で、ギャップのある女の子だ。
自由気ままだった世界に、ユーリの知らない色が灯されていく。
この子の傍はとても居心地が良い。きっと楽しい生活になるだろう。

「んじゃま、よろしく頼むわ。」

手を差し出すと、は嬉しそうにその手を掴む。
彼女は変わったと戸惑ったが、ユーリの好きな無垢な笑顔は同じだ。
そうか。良い所取りしたのが今のなのか。そう思うと胸の痞えが取れた気がした。

「わふっ」
「ラピードも、よろしくだってさ。」
「はい。ふっつか者ですが、お世話になります。」


この日、ほんの少しだけ、2人の世界に色がついた。




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