君に花を




もうすぐ夕食だというのに、ユーリが連れて行かれてしまった。

おかみはすぐキッチンに入り、少女のために食事を作り始める。
騒動時ラピードの姿が無かった。恐らく少女に付き添っているのだと思うが、できるだけ早く行かないと。
全く、相変わらずしょうがない子だ。私たちのことなんて置いといて、こんな騒ぎの時こそ傍に居てやるべきだろうに。

冷蔵庫とにらめっこしていると、上からドスンと何かが落ちた音がして、酒場にいた人間は飛び上がった。

おいおい ユーリのちびちゃん、大丈夫か?
ユーリ連れて行かれたから、怖がってんじゃねぇか。
何やってんだよアイツ 俺、見てこようか?

『ユーリのちびちゃん』は知る人ぞ知る有名人だが、あくまで下町の人間の一方的な認識である。
彼女は彼らと会った事は無いし、それ以前に自分の事が広く認知されていることすら知らない。

かつてのことを思うと随分回復したが、歩き回るのはまだ難しかったはず。
やはり、同姓で顔見知りの自分が行くのが、一番良いだろう。
おかみは「私が見てくるよ」とざわめく客に一声かけた。そしてカウンターの下の籠を取り出す。
ひと針ひと針、全神経を注いだおかみの入魂の作品、今こそ出番である。

中身を適当な袋に詰め、エプロンをつけたまま2階の客室に足を向ける。
先程の騒ぎは知っているだろうから、突然訪ねてびっくりさせるかもしれない。
驚かせないように小さくノックし、努めて優しい声を出した。

「私だよ。入るね。」
「ガウッ」

そっとドアを開けると、青い犬が鼻先でそれを手伝った。
やはりラピードを置いていったのか。さすがに一人にさせるほど馬鹿ではなかったようだ。

「すまないねえ、驚かせてしまって。怖かっただろう?…ってなにやってるんだい!」

床に這いつくばり、自由の利かない足を叱咤しながらも進もうとする少女に、おかみは思わず目を剥いた。
少女は『おかみさん?』と目を真ん丸くしているが、それどころではない。
おかみは慌てて膝をつき彼女を抱き上げる。

「ああ、なんてことしてるんだい…女の子が汚れちゃいけないよ。」
「ワンッワンッ」

だが少女は今にも泣きそうに瞳を潤ませ、必死に口を動かした。

『ユーリさんが、ユーリさんが…』
「ワンッ」
「……」

助けに行こうとしたのか。
まだまだ辛い身体だろうに、それでも。
小柄な外見に似合わず豪胆である。このままでは、階段も転げ落ちそうだ。

「そうか、あんたが来てからそういう無茶してなかったね、あの子は……」

此処の前でこういうことになったのは、そういえば少女が来てからは初めてだ。それこそユーリが牢屋に放り込まれるのも。
先程の諍いにショックを受けるのも無理はない、飛び出したい気持ちもわかる。
けれど今の少女の身体ではユーリを助けるどころか、治りかけている自身の怪我を悪化させかねない。

ユーリは言っていた。少女は本当は真面目で、優しい性格なのだと。
悔しそうに拳を握っている様子からもそれは見て取れた。何もできない自分が歯がゆいのだろう。

「あの子のことだ、数日もすれば平気な顔で戻ってくるよ。
 その時の為にも安静にしてなさい。もし怪我が増えたらユーリが悲しむわ。」

限りなく現実に近い事実に俯くが、やはり自分でも無理があるのは分かっていたようだ。ややあって、小さくだが少女は頷く。
収受してもらえたことに内心ほっとしつつ、おかみはベッドに戻るのを手伝ってやった。
心配させまいと思ったのか、少女はいつも通り柔らかく笑う。
けれどそれはいつもユーリやおかみが好きだと思う、素直で愛らしい笑顔ではない。
無理もないが、だがこのままでは可哀想に思えた。

「ちびちゃんちびちゃん、いいものあげようか。」

ユーリは子どもだと言っていたが、おかみはどうだろう、と思っていた。
丸みを帯びてきた彼女を見ていると、ユーリが思っているほど幼くないのではないか。
根拠のない女の勘だが、あくまで「小柄な女性」という気持ちで彼女と接していた。

「あの子、時々戻ってこないだろう?きっと寂しいだろうと思ってね、頑張っちゃったよ。」

同じ女だからこそ分かる、少女のユーリへの大きな信頼。
ちょっと子どもっぽいかもしれないが、女の子なら嫌いではないだろう。
例の袋を彼女の膝の上にそっと置き、おかみは得意げに胸を張った。

開けてみて。促されるまま袋の口を開いた少女の目が、驚きで真ん丸くなった。

それはフェルト生地で作られた、少し大きいぬいぐるみだった。
服飾も細部まで再現された服は全体的に黒い配色。
綺麗に刺繍された目と口は凛々しく、あの不敵なドヤ顔が可愛くデフォルメされて、自分の膝に乗っている。

『…………ユーリ?』

ぬいぐるみを見て、おかみを見て、またぬいぐるみに視線を戻す。
黒い髪、黒い服、持っている剣(着脱可能)に至るまで、どこかどう見ても、さっき城に連れて行かれた彼にそっくりだった。

「どうだい似てるだろう?私の力作だよ!」

さすが主婦暦の長いおかみ作品である。しっかりとした作りで、綻びなど全然見当たらない。
少女は無心にぬいぐるみを弄る。頬が赤い。口元が緩んでいる。
万歳してるユーリ。手を振るユーリ。敬礼してるユーリ。口元を押さえるユーリ。体操をするユーリ。
お尻の大きいユーリがバランスを崩してころころと転がった時、少女の感情が色んなものを突き抜けた。


「か、かわいい……っ」


おかみは再び目を剥いた。

幻聴か。空耳か。真偽を確かめるべく少女を凝視するが、生憎彼女は気づかない。

「……ちびちゃん、そのユーリ、とってもよくできているだろう?」
「はい、そっくりですっ。かわいいです、すごく、かわいいですっ。……………。」

ようやく少女が固まった。…いや、固まられたままでも困るが。
恐々と喉を指でなぞり、唇を震わせる。

「………こえが…」

さらり。白く長い髪が少女の細い肩を落ちる。
2人とも動けない。数秒のような数分のような沈黙が部屋に落ちる。
飼い主に似て冷静沈着なラピードでさえも細い目を見開いて、成り行きを見守っていた。

「ちびちゃん…っ」
「わっ」

瞳を潤ませおかみが少女にダイブする。びっくりしながらも、ふくよかな身体を受け止める少女。
広い背中に細い腕を回す。じんわりと感情がこみ上げてくる。
耳元で聞こえる鼻を啜る音に、少女もつられて瞳を潤ませ、雫を零した。

「……っ、あり、がとうございま、す……ッ」

しばらく使っていなかったせいか、喉に何かがつっかかっている気がする。
でももう、口から漏れるのは空気だけじゃない。

唇が動くとおりに声を紡げる。声が戻った。声が出せる。
嬉しいようなくすぐったいような、むずむずした気持ちが体中に広がった。
たくさんの気持ちを詰め込んで少女は喉から音を絞り出す。

「…ありがとう、ございます…ありがと、う、ございます……!」
「可愛い声じゃないか…よかった…よかったねぇ……」

親子のように抱き合う2人の傍らに、ぬいぐるみを座らせるラピード。
そしてベットに上がると寄り添うように腰を下ろした。いつも鋭い目つきも、今はとても柔らかい。

簡素な部屋に、夕焼けの橙色が差し込む。その暖色はとても暖かく2人と1匹を包み込む。

「もう、こんなときに限ってあの子は…」

おかみは苦笑しながら少女の頭を撫でる。
少女もつられて笑うと、ぬいぐるみを大事そうに胸に抱き締め、言った。

「………あの、ひとつお願いしてもいいですか…?」



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