「ここは君の部屋だ。好きに使ってくれていいからね。隣は俺の部屋だから、何かあったら言うんだよ?」

リスのようにお菓子を頬張る彼女を見守りつつ、簡単なことだけを説明しておいた。
ここは三大王国のひとつ、トルタスクという国で、農業や放牧を中心に成り立っている穏やかな王国だということ。
そしてコンヴィクはこの国の国王で、頼まれたために猫を保護、この後も後ろ盾になるつもりだということを。

「いいかい、城の中は自由に歩き回ってもいいけれど、外は一人で出ちゃいけないよ。
 出たい時は俺に言いなさい。どこにだって連れていってあげるから。」

ここでロイスの名前を出さない国王に、ロイスは内心舌を出した。・・・どうやら先程のやりとりで、水と油だと判断されたらしい。

「あと、毎日3回、朝昼晩きっちり食事をとること。時間になったらこの部屋にいなさい。いいね?」
「オカンかお前は・・・。すっかり保護者気取りだな。」
「美容は食生活からだ。この子はもうちょっと太ったほうが可愛い。」
「しかも親バカかよ。出てるとこ出てるし、もう十分じゃねぇの。」

ベットの上の猫を品定めするように見下ろす。
標準よりも押し上げている2つのふくらみ。猫のようにしなやかな腰。裾から覗く肉付きの良い足。
不躾な視線に気付いた彼女は遠慮無くロイスを睨みつけるが、その勝ち気な上目遣いも、男には媚薬となりうる。

「・・・いくらお前でも、手を出したらタダじゃおかないぞ。」

その視線を遮るようにコンヴィクは体を割り込ませる。
腹が膨れて気持ちも落ち着いたのか、大きな背中を見上げる猫の目付きが、少し和らいだ。

「ごめんね、あのおじさん汚れまみれだから、あまり近づかないほうが良いかもね。」
「親友をゴミ扱いかよコノヤロウ。」

振り向いた彼の表情は、まるで春の日差しのように暖かくて穏やかな笑顔だった。
目を丸くする猫の頭を優しく撫で、また笑う。

「・・・でもね、口ほど悪い奴じゃないんだよ。もし俺が傍に居られない時は彼を頼るんだ。絶対に君を守ってくれる。」

猫の耳が、ぴくりと動く。

「約束するよ、必ず君を守る。だから君は自由に生きていいんだ。」

くすぐったいような不思議な気持ちが、猫の思考回路を優しく包んだ。知らない場所。知らない人間。無邪気に笑う、男。
守るだなんて、何故そこまで言ってくるのかよく分からないが、つまり、ここにいれば好きなだけ食べ物と安眠をもらえるらしい。
そう解釈した猫は、鼻を鳴らして布団に潜り込んだ。

「なんなんだコイツ?!何様?!」
「寝るのが大好きみたいだねぇ。さすが猫。」
「お前は脳天気過ぎだっつの!あーもー嫌な予感する。俺の仕事がモリモリ増えそうな気がする。」

頭に、何か暖かいものが触れた。訳が分からず一瞬身体が強張ったが、危害を加えるそぶりは無く、
ただただ撫でているだけと分かり、猫は構わず瞼を閉じた。
邪魔をしないのなら、どうでもいい。

「おやすみ。良い夢を見るんだよ。」

降ってくる声はとても心地好く、まるで子守唄のよう。
あのコンヴィクという男は、とてもお人よしそうだ。だから声色も穏やかなのだろう。

甘い匂いがする。脳内も体内も、甘い香りで満たされている。これはお菓子のせいなのか、それとも。
そこまで考えて、猫の意識は闇に堕ちた。



***



目を覚ますと、部屋の中が眩しい橙色で染まっていた。
寝る前に食べたお菓子のような甘い匂いが鼻をくすぐり、あれほど睡眠を取った身体がまた眠気を訴えてくる。
同時に、また腹が鳴った。やはりあれだけでは足らなかったらしい。

「・・・・・・・・。」

喉もからからに渇いて、少し痛む。水も食事も欲しいがどうしていいか分からず、八つ当たり気味に布団を足で押しのけた。
身体がとてつもなく重くて、だるくて、何をするにも億劫に思えた。
何かが足りない。もちろん何かを飲み食いしたいが、それだけでなく、一番摂取しなければいけないものが枯渇している。
けれどそれは何なのか答えを見つけることはできず、猫はただ天井を見上げる。

あの男がくれたお菓子は、とても美味しかった。とても満たされて力が沸いた。
あれがまた欲しい。あれなら、埋めることができそうな気がする。

「・・・起きてるかな?」

静かな前置きのあと、ドアが音もなく開いた。
そこには寝る前と変わらない笑顔を浮かべた、あの男。
湯気立つ器を乗せたトレーを手に、部屋に入ってくる。

「って、ああ、こら。布団をちゃんと被らないと駄目だ。風邪を引くだろう。」

トレーを机に置き、猫の足元で丸められた布団を慌てて引き寄せる。

「そろそろお腹が空くかなと思って、食事を持ってきたんだけど・・・・食べれそうかな?」
「・・・・・・・・、」

布団に埋もれながら猫はこくりと頷く。
が、やはり身体を動かす気にはなれず、かろうじてコンヴィクに手を伸ばすのみ。

「・・・・、ああ、そうか・・・・・。」

途端、男の笑顔は萎むように消えた。猫の手をとり、握り返し、両手で包み込む。
その暖かさに猫は、ほう、と、安堵の息をついた。
彼の手から何かが伝わってきて、纏わりついていた倦怠感が徐々に影を薄めていく。
瞼を閉じると金色の光が流れてきているような錯覚を覚えた。この光の帯が、猫の身体を優しく刺激している。

「すまない・・・・もうちょっと早く来るべきだったね・・・・」

目を開くとそこには申し分けなさそうに微笑む彼の姿。
落ち着いた素振りながらも手早く持ってきた器を取り、猫に差し出す。

「お腹空いただろう?たくさん食べるんだ。」

猫はぎこちなく寝返りを打ち、手が布団に巻き込まれ、頭から突っ伏した。
倦怠感は拭われたものの節々が言うことを聞かず、彼女は不機嫌そうに眉を寄せた。

「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・起きるの、難しいかい?」
「・・・・・・・。」
「うーん・・・・じゃあ、こうしようか。」

コンヴィクは一旦器を机に置き、座っていた椅子を横に避ける。
そうして先ほどとは打って変わって猫の布団を思いっきりひん剥くと、中にいた住人をあっという間に抱き上げた。

「?!?!」

突然のことに驚き目を白黒させている彼女を安心させるように、互いの視線を交わらせ笑顔を作るコンヴィク。
彼は猫を抱いたままベットに座り、小さな体を自身と同じ方向に向けさせた。
そして何事も無かったかのようにもう一度器を取り、腕を回す。

「・・・・っ、・・・・っ、」
「君は軽いなぁ。やっぱり太るべきだ、うん。」

膝の上に乗せられる格好となった猫は混乱のあまり体を固まらせた。
暴れたいところだが、目の前の湯気の立つ器を見るに、そんなことをしたら恐らく悲惨なことになる。主に自分が。
しかしこの状態も到底受け入れられるわけもなく、無意味に右に左にと大きな瞳を動かした。
なんなのだ。どういうことだ。これは。生まれて初めての経験は、猫の考える力を根こそぎ奪っている。

「はい、あ〜ん。」

驚いたといっても目を見開く程度の変化しか出ないため、コンヴィクはよもや彼女が必死に抵抗手段を考えているなど
全く知らないらしい。スープを掬ったスプーンを猫の口元に近づけ、無邪気に「ふーふーしたから熱くないよ」と笑っている。
能天気な彼に苛立ったのか。それとも頭がついにショートしたのか。
確かに腹減りだった彼女は、やけくそ気味に目の前のスプーンに食いついた。

「美味しい?」

ごくりと飲み込み、早く次を寄こせと目で催促する。
そんな猫にコンヴィクは満足そうに笑って、またスープを運んだ。

それなりの量を用意した野菜のスープが、みるみるうちに嵩を減らしていく。
元気に平らげる猫の様子にほっとしながらも、コンヴィクはもっと作ればよかったと少し後悔した。
猫はスープと一緒に用意されたデザートもぺろりと胃の中に収め、混乱はどこへやら、もはや開き直った様子でご満悦な表情を見せた。

「君は食べるのが好きなんだな。よし、これからはもっと色々な料理を食べさせてあげよう。」

でれでれと猫の頭を撫でながら彼女以上にご満悦なコンヴィク。
遠慮なくもたれかかってくる体をしっかりと抱きとめ、自身のポケットを探った。

「君に、これをあげるよ」

猫の膝の上に乗せられたのは、透明な袋に包まれたクッキー。
昼間食べたものとは違い、全て狐色というより金に近い独特な色をしていた。

「例えばさっきみたいに力が入らない時とか、とてもお腹が減ったけど周りに食べ物が無かった時に食べなさい。
 ただし、これは1枚だけでとてもお腹がいっぱいになるから、1度に何枚も食べないこと。
 あと人には絶対にあげないこと。これは君だけのクッキーなんだから。いいね?」

猫は素直に頷いた。言われずとも、美味しいものを他の人間にやるなど考えられない。
それにお菓子は少しずつ食べていくのが楽しいのだ。一気に食べるなんてもったいないではないか。
そんな彼女の趣向を知らずクッキーの『決まりごと』をもう一度念押しすると、コンヴィクは猫の頭に頬を寄せた。

「・・・・・もう・・・さっきのような君は、見たくないからな・・・・・」

それはどちらかというと、独り言に近かった。



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09/11/8up