それなりに広い部屋をあてがわれていても、イクスの行動範囲といえばベットの上、もしくはその周辺だ。 退屈ではあったが、部屋の隅々まで歩き回ったことは無い。 一日の大半を昼寝で潰すため、身体を起こすことはとてつもなく面倒だった。 だからこの部屋に何があって何が設えられているのかなど、把握する気などまるで無い。 「メイドのお下がりばっかりじゃ可哀想だからね」と言いながら、コンヴィクが宣言どおり朝食と共に 服を部屋に何着か持ち込んできた時も、服にときめく年頃の乙女のような素振りは全く無く、寧ろその瞳は朝食のみ凝視していた。 一晩で服を仕上げるなどプロでもなかなか難しいということを、常識に疎いイクスは知らない。 だから彼の熱の入りようが少し異常だということにも、生憎気付かない。 「やっぱり君は瞳とおそろいのワインレッドが似合うなあ。ワンピースの色に持ってきて良かったよ。 黒髪が映えるから、赤はできるだけ多めに使いたかったんだ。 ああ、靴はどうかな?黒タイツに映える思ってこれも赤にしてみたんだけど。」 朝食をもくもくと食べるイクスの周りを、足取り軽くいつも以上にちょろちょろと動き回るコンヴィク。 これではどちらが年上かわかったものではない。残念だが、これがこの国の頂点に立つ男の姿である。 「白を入れるべきがどうか悩んだんだけど・・・。うーん、やっぱりあっちのデザインのほうが似合うかな・・・・・」 色気より食い気という服に頓着しない彼女がそういったセンスなど分かるはずも無い。 だが彼はかまわず華やかな色を腕やら背中やらに押し当て、何度も確認している。 そして猫はといえば、食事の邪魔でなければ何でもいいのか、とくに嫌がることなく食事に集中していた。 「今度はピンクも入れてみたいな・・・イクスはどう思う?」 言われてみて初めて、周りに散らばる服たちをちらりと見やる。 が、こだわりが理解できない猫にとっては、どれもが同じに見える。 「・・・ふわふわしてる。」 「ああ、あまり身体を締め付けないほうがいいかと思って。まあ俺の趣味でもあるんだけど。」 頭に浮かんだことだけを言ったずれた回答だったが、コンヴィクは照れ笑いを浮かべた。 「動きにくいとか、何か不便があれば言ってくれ。改良するから。」 イクスは意味を理解しないまま適当に頷いた。彼女にとって今大切なのは、最後まで残しておいた大好物の牛肉を 存分に堪能することである。そんな雑な扱いを自覚しているのか、「君は花より団子だな」とコンヴィクは苦笑した。 猫の興味をひくのは唯一、美味しい食べ物のみ。 意外と好き嫌いの無くなんでもぺろりと平らげるその姿は作り甲斐があるというものだが、 裏を返せば彼女が相手をしてくれる機会はこれくらいしかない。 食べること以外では、相変わらずの警戒心と無関心である。 満足そうに空の皿を突き出した少女に、そうか、君は朝から肉を食べれるのか、そう言って コンヴィクはまた可笑しそうに笑った。食い意地が張ると、やはり胃は丈夫になるようだ。 肉汁がべたべた付いた小さな口元をタオルで優しく拭いながら、持ち込んだ色鮮やかな服たちを指し示す。 「よし、じゃあ着替えようか。」 猫は素直にこくこくと頷いた。満腹のため気分が良い。今なら大抵のことは許せる。 ワンピース型のパジャマの裾を思いっきり持ち上げると、コンヴィクはぎょっと目を剥いた。 「こ、こら!女の子がそんなことをするんじゃない!」 慌てて下ろさせると、なんだ、脱げと言ったのはそっちだろうと、不満そうな紅に睨まれる。 「せめて下着を身に着けてくれ!いや、そういう問題じゃない、そういう問題じゃないが、 女の子なんだからもうちょっと貞操観念を・・・・・ん?・・・・あれ。ちょっと、待て。」 真っ赤な顔で叱り付けるコンヴィクだが、自身の台詞に、何か引っかかった。 不謹慎だが、もう一度、先ほどのトラブルを思い返す。 ワンピースの裾をたくし上げ、半裸をさらした彼女。不幸中の幸いか胸までは見えなかったが、ぎりぎりではあった。 腰から足の先まで境界無く伸びた白い肌・・・そう、何のさえぎる物も無く・・・。 「・・・・・・・まさか。」 用意、していたはずだ。そんなもの説明せずとも、自然に身に付けるとばかり。 嫌な予感がして、抵抗されない程度にそっと猫の腰を抑えてみる。 薄い生地越しに感じるはずのもう一つの生地が 「・・・イクス、君、下着は?」 「したぎ?」 「服の下に身に付ける、大事なものだ。」 「? なにそれ。」 コンヴィクは頭から床に突っ伏した。自分は男だからそういうデリケートなところまでは突っ込めない立場だが いやしかしだからといってこの状況を起こしてしまった理由にならない。 聞きにくい。聞きにくいが、それで大変な思いをするのはイクスだ。 ここは確かめておかねばと、身体を起こし、できるだけ平静を保ちながら、もう一つ問うた。 「ブ・・・ブラジャーって、知ってるかい?」 女性経験が無いわけではないが、男がこの単語を口にするにはどこか気恥ずかしい。 そんななけなしの勇気を知ってか知らずか、イクスはこれまた無邪気に首を横に振った。 「・・・・そ、そうか・・・・・知らない、か・・・・」 ロイスが聞けば笑い話だと腹を抱えそうだが、これは、笑えない。 保護者だ後ろ盾だと言ってみても、コンヴィクは男で、イクスは女だ。どうしても踏み込みにくい部分がある。 だがそこの部分が最も大切で、きっちりと教えなければいけないのだ。 (やはり俺だけじゃ限界な部分があるな・・・手配しておいてよかった・・・) もちろん予想し得なかったわけではない。同姓のほうがなにかと気が楽だろうと、前々からイクス用の世話人を手配していた。 だがコンヴィクと共に猫を見守る予定だった彼女は、まだこの国にすら着いていない。 もう祖国は出たようだが、遠方ということもあり、なかなか思うように急げないと手紙に記してあった。 彼女の到着を待つほうがいいだろうか。だが今日は外出だ。何かあってからでは遅い。 そう、恥ずかしがっている場合ではないのだ。腹を括り、不思議そうに見下ろしてくる猫を見据えた。 「イクス・・・お願いがあるんだ。」 コンヴィクはクローゼットを勢いよく開け放ち、中に置いてあった籠を漁った。 こういうものはどう説明すれば良いか分からないが、だが、少ない知識を総動員させるしかない。 「これは君のためなんだ。何も言わず、これをつけてくれないか!」 小さくて可愛らしいブラとパンツを掲げ、少女に頭を下げる国王。何も知らない第三者が見れば、確実に誤解する光景だ。 再度繰り返すが、これがこの国の頂点に立つ男の姿である。 「・・・なにそれ。」 服は問答無用で押し付けてくるくせに、何故その2つは頭を下げてくるのかイクスは不思議でならない。 べつにいいけど。そう言いかけて、開きかけた口を閉じた。 何がそうさせるのかは理解できないが、どうやら小さなあれは、頼み込まなければいけない物のようだ。 ならば、2つ返事で受け入れるのはもったいない。美味しいものがせびれるかもしれないと、あくどい顔を覗かせた。 「お菓子ほしい。」 コンヴィクを穢れの無い瞳でじっと見つめながら、要求した。 「くれたら、する。」 「っ!そうか!いいよ、今日のお昼に新しいお菓子をつけてあげよう!」 下着セット(ピンク)を片手に喜ぶ良い年した男の姿は、どこか虚しい。 だが猫はそれを不審に感じることは無く、それよりもまだ見ぬお菓子に思いを馳せ、満足そうに何度も頷いた。 「えーと、それじゃあ・・・その、パンツから、はこうか。」 今更恥らいもくそも無いのだが、気色悪い照れを浮かべつつ、コンヴィクはパンツを広げて見せた。 「この穴に足を入れて・・・そうそう、で、上に上げて。生地が大きいほうが後ろだ。」 小さな布地の両端をイクスに持たせ、目を泳がせながらも着用を手伝ってやる。 もう何も考えないことにした。考えたら負けだ。羞恥心で、死ねる。 なんとかあるべき場所に収まったピンク色の下着を見て、コンヴィクはほっとため息をついた。 女の下着を剥ぎ取ったことはあっても、こうやって穿かせたことはない。なかなか刺激的な体験である。 「・・・きもちわるい。」 「イクスを守る大事なものなんだ。特に外に出るときはね。慣れてくれ。」 身につけたはいいものの、先程の素直さとは打って変わり、彼女は不機嫌そうに短い眉を顰めた。 今まで開放感溢れる格好だった猫にとって、相当窮屈なものらしい。 だが下着というのはデリケートな部分をきちんと保護してくれる。今でこそ夜の道具としての需要が高いが、 そもそも始まりは大事なものを隠すため、守るために作られたものだ。そう考えれば、このロリコンと勘違いされそうな この状況も大切な教育なのだと、コンヴィクは義務感に燃えてくる。 「ぎゅうぎゅうする・・・ごりごりする・・・・」 「こら、引っ張っちゃ駄目だ。」 「うううう」 両端を引っ張り、慣れない締め付けから逃げようとする猫。 コンヴィクは慌てて押し戻そうとするが、どうやらあまりお気に召すものではないらしく、微力ながら抵抗してくる。 「お菓子いらないの?」 魔法の言葉に、イクスは下着を剥ごうとする手を止めた。 新しい、お菓子。甘いのだろうか。サクサクなんだろうか。 今まで食べてきたお菓子の味が口いっぱいに広がった気がして、喉がこくりと鳴る。 「つけてくれたら、おいしーいお菓子をあげる。そう約束したはずだ。」 わざわざ”おいしい”を強調されて、食いしん坊の猫はここに来て初めて、くしゃりと表情を崩した。 「でも、これ、きらい。いたい。」 「・・・イクス、約束を破るの?じゃあお菓子は無しだ。」 いつもと同じ、もはや見慣れたコンヴィクの笑顔。 だけどその瞳は、手は止めても下着を離すことはできないイクスをやんわりと責めているようだった。 イクスにとって、コンヴィクというのは特に必要ではない、取るに足らないものだった。 食事を運んでくれるという意味では重要だが、それ以上でもそれ以下でもない。 何をしても、大抵のことは笑顔で許してくれる。とても都合の良い存在。 「したぎ、つけない。おかし、ほしい。」 この矛盾した台詞は、イクスの悪巧みが裏目に出ていることを意味していた。 それは彼女自身も頭のどこかで気づいていたが、お菓子欲しさと、コンヴィクの知らない笑顔が怖くて、 口をついて出るのは自分の要求ばかり。 だけどどんなに訴えてみても、コンヴィクの表情は変わらない。 言い包められて負けそうな猫。今までに無い珍しい状況に、コンヴィクは悪戯心が湧き上がるのを抑えられなかった。 「イクス。俺、言ったよね。これは外に出るときに必要な物だって。」 目を細めて、柔らかい声で、まるで親が子どもに言い聞かせるように優しく言った。 「つけれないなら外出も無しだな。いつも通り、部屋で寝てるといい。」 「・・・っ?!」 昨日の夜、ベットの中で色々なことを想像した。 太陽の暖かさ。草木の感触。頭上に広がる青。 サンドイッチもお菓子もきっといつも以上に美味しくて、いつもより気持ちよく寝れるのだと、とても、とても楽しみだった。 広い所を駆け回って、寝転んで、ベットの上ではできないようなことたくさんして。 「・・・いやだ・・・そと、いく・・・」 「じゃあつけて。」 「やだ、やだ」 「じゃあ諦めるんだ。」 「や、だ・・・っ」 猫の頭は、いつの間にかお菓子よりも外出のことでいっぱいだった。 どうして今日に限ってこんな意地悪をされなければならないのだろう。 そんな布切れが何だというのだ。嫌だと言ってるのに、なのにどうしてこんな目に。 初めて我が侭の通らない状況に直面した彼女は、パニックになっていた。 そんな弱々しい姿を見て、イクスのためと粘っていたコンヴィクも、 あれほど羞恥心の塊だったピンクの生地が、まるで苛める道具に思えてくる。 「うー、うー、」 猫は落ち着き無く頭を振り、パジャマの裾を引き千切れそうなほどきつく握り締めた。 瞼が熱くて、頭がガンガンして、何もまともに考えられない。 ふいに頬に押し当てられた彼の大きな手が凄くわずわらしくて、思わず振り払う。 「イクス、」 「こないで!やだ、ヴィクこわい!やだ、やだっ!」 あの能天気で馬鹿みたいな笑顔をしたコンヴィクはどこへいったのか。 ベットに広げてあった物を後ろ手で掴み、イクスの知らないコンヴィクに投げつけた。 いくら食べるものがあっても、寝れる場所があっても、こんな意地悪される場所なんていらない。 「・・・ヴィクの、おかしなんて、いらない!ヴィクなんかきらいっ!」 一瞬目の前が真っ暗になったのは、イクスだけではなかった。 けれど彼女がそんなことに気づくはずも無く、呆然と立ち尽くすコンヴィクの横をすり抜け、部屋を飛び出す。 出させてもらえないのなら、勝手に出て行くまでだ。猫の泣き顔は、そう叫んでいるようだった。 猫が、頑として譲らなかった食べ物への執着を、かなぐり捨てた瞬間だった。 「・・・・イクス」 追いかけようとするが、身体に何かがまとわり付いて邪魔をする。夜なべをして作ったイクスの服だ。 「やりすぎたか・・・・」 外への憧れや食欲すらも考えたくなくなるほど、相当自尊心を傷つけられたのだろう。 いつだって本能のままに行動しているが、ここまで感情を爆発させたのは意外だった。 人形のように、淡々と日々を過ごしているばかりだと思っていたのに。あんなにも熱いものを秘めていたとは。 「・・・邪魔だな。」 イクスが着てこそ、この服は存在価値が出るというものだ。だから今は、ただの継ぎはぎの布切れ。 それなりの労力をかけたということを忘れたかのように、コンヴィクは服をぞんざいにベットに投げ捨て、部屋の外に出た。 予想通りというべきかやはり猫は足が速いらしく、周辺を歩き回ってみるがどこにも見つけられない。 勢いで下着を穿いたまま飛び出したようだが、何処で脱ぎ捨てるとも限らない。 早く見つけてやらないと、いくら穏やかで犯罪が少ない国の城とはいえ、何が起こるかわからない。 「まるで鬼ごっこみたいだ。」 コンヴィクはほんの少しだけ口端を持ち上げて、歩く足を早めた。 嫌い、という言葉に予想以上にショックを受けているなど この手の台詞は麻痺するほど慣れていたはずなのに。 そんなことを、頭の隅でぼんやりと感じた。 ←BACK NEXT→ 10/9/17up |