城の中を自由に歩き回ってもいいとは言ったものの、実際のところイクスが行ける場所は限られている。
彼女が引きこもっていた部屋は最上階にあり、同じフロアにはコンヴィクの私室と執務室、
大浴場のみという、あまり広い作りではない。
離れの塔に続く通路は普段締め切られており、この扉の鍵を持つのはコンヴィクかロイスだけだ。
フロアの真ん中の階段を使うこともできるが、降りれるのは1階だけである。
さらに下に行こうとしても階段下にまた鍵付きの大きな扉が鎮座しているため、猫一人ではどうしようもない。

つまりイクスが逃げ出したとしても、隠れることができるのは2つのフロアだけで、
見つける事自体はそう難しい話ではないのだ。

「部屋を一つ一つ当たってみるか…」

大浴場や執務室ならいいのだが、階下にはロイスが使っている部屋がある。
猫が入り込んだとあっては、彼らのことだ、喧嘩は免れないだろう。

まず隣にある自分の私室を覗き、一応クローゼットの中やベット下も覗いてみる。
念のため窓の外も確認し、ドアを開け放ったまま、今度は向かいの執務室に足を向けた。
私室と同じように猫が潜り込みそうなところを全てチェックし終えたところで、無意識にため息が漏れた。
思ったよりも重労働な捜索に少し苦笑してしまう。

「どこにでも隠れそうだもんなぁ……」

声を出して彼女を呼ばないのは、見つけたときに追い詰められたと思い込んだ彼女から、反撃を受けないためだ。
「どこにいる?」と言われながら探されるのは、とても怖いものだ。
それを身に沁みて知っているため、まるで失せ物を探すように、コンヴィクは黙々と動き回った。

彼女にとってコンヴィクは、食料箱みたいな物なのだろう。
甘やかされて許されて、だからこそ意地悪になった彼は計算外で、受け入れられなかった。

だけど彼女は自分勝手ではあるけど、馬鹿ではないようだ。コンヴィクとの押し問答も、最後は言葉が見つからず
罵詈雑言になっていたのが良い証拠だ。自分の非に、気づいてはいたのだろう。
それに、初日にロイスに押さえ込まれて以来、暴れたことは一度も無い。
小柄な身体で大の男に逆らっても勝ち目が無いことを学習したらしく、悔しいのかロイス相手では
目を合わせようとすらしない。その分ロイスも毒やら皮肉やら吐いていくので、お互い様だが。

無愛想で、勝手で、唯我独尊だが、何だかんだで周りをよく見ている猫。
今回のことは苛めすぎたかもしれないが、でも必要なことでもあったとコンヴィクは思う。
だからパンツのことだって、もうちょっと話し合えば、きっと分かってもらえるはずだ。パンツは、大切なのものなのだと。

「………。」

そこまで思い至って、コンヴィクは深いため息をついた。喧嘩の原因はパンツ。なんて、平和な。
自分たちにとってはお互い譲れない大真面目なことだが、他の人間が見たらどう思うだろう。
ロイスなんか「パンツ事件」なんて言って笑い転げそうだ。
ちゃんと言い返して、彼を納得させることができるだろうか。…駄目だ。勝てる自分を全く想像できない。

(…昔は、そんなことどうでも良かったのにな………)

勝つとか負けるとか、納得してもらうとか、そんなものは別次元の世界に思えた幼い自分が、鈍い痛みと共に脳裏に甦る。
人は、変わろうと思えば変わるものだ。
嫌な記憶に未だ囚われていたとしても、今と昔は、確実に色んなものが違う。

「…下に、行くか。」

この部屋は今の自分を示すもので溢れかえっている。
机の上に重ねられた手付かずの書類。
行事の記録を記した書籍で埋め尽くされた本棚。
この国のカラーである深緑の皮が張られた豪奢な執務椅子。

こういった物を見ていると、たまにたくさんの思い出がぶり返す。
今と昔を比べるという自分でも意味の分からない行為を、浸るように考えてしまうのだ。

大浴場は今使用人が掃除をしているため、人見知りのイクスはおいそれと入れはしないだろう。
持っていかれそうな思考を無理矢理繋ぎとめ、執務室に背を向ける。
ここは嫌いじゃない。けれど、独りの今は居たくない。
乱暴にドアを閉め、早足で階段を駆け下りる。
早く猫を見つけよう。何にも縛られず、思うまま生きる彼女を、捕まえるのだ。

この国の出身者は殆どが金髪で、そうでなくとも金に近い茶髪が主流だ。
だからイクスの深い黒髪はよく映える。
地味とも称されやすい色は、此処ではとても目立ちやすい。

だから、その闇色を見つけたとき、コンヴィクは無意識にその名を呼んでいた。

「イクス……。」

相変わらずざんばらな長い黒髪を身にまとい、さらに下に降りる階段の前に、彼女は居た。
先程の暴れっぷりとは打って変わり、コンヴィクの呼びかけにぴくりと身体を揺らすのみ。

「……。」
「よかった…ここに、居たのか。」

コンヴィクは安堵の息をつきながらも、猫から数歩離れた距離で足を止める。
黒髪を流したその背中は、まさに真っ黒といった感じだ。
気の強さを現すようにピンと立っている猫耳も、心なしかいつもより角度が低い。

「……」
「………。」
「……」

締め付けてくるパンツがどうしても慣れなくて嫌だと、猫は部屋を飛び出した。
だからここで「帰ろう」というのはおかしい気がするし、だからといって彼女の初めてとも言える
激しい感情を怒ってしまうのも、それもそれでなんだか嫌だ。
コンヴィクは何も言わず黙ったまま、イクスがいつ振り向いても良いように、ずっと笑顔を浮かべ続けた。

「……ヴィク、は、」

気まずくなったのではなく、自分の中でかなりの葛藤があったのだろう。
猫にしては珍しい搾り出すような声色に、一言も漏らすまいとコンヴィクは耳を傾ける。

「わたしに、ぱんつ、つけてほしい?」

少し見せた横顔は、拗ねたように少し赤い。

「そうだな。あれはイクスが思っている以上に、イクスを守ってくれるものだから。」
「……わたしは、ぎゅうぎゅうするの、嫌い。痛いから、いやだ。」

喧嘩した時と変わらない自己主張。
パジャマの裾を握り締め、恐る恐る彼のほうに身体を向ける。

「だから、ごりごりしないぱんつがいいっ!あの服みたいにふわふわした、痛くないぱんつなら、わたしつける!
 ふわふわしたぱんつ、がんばってつけるから、だから、だから………っ」

猫目は涙が零れ落ちそうなほど潤んで。
丸い頬を林檎のように染め上げて。
小さな口をへの字にして。
口とお揃いのように猫耳を萎ませて。

長身のコンヴィクを精一杯見上げながら、イクスは叫んだ。

「だから……あたらしいお菓子たべたい〜〜〜〜っ」

うわああああと、幼い子どものように大粒の涙をぼろぼろ零しながら、黒猫は保護者に訴えた。
まさか泣き叫ぶとは思っていなかったコンヴィクは慌てて駆け寄り、濡れに濡れた真っ赤な頬を指で拭ってやる。
が、イクスはそれを嫌だと首を振った。

「イクス」
「ヴィグ、ごわ、ごわい…」
「もう怒ってない。大丈夫だから。」
「だって、お菓子も外も、だめって……ぱんつ、イヤなのに……っ」

それでもコンヴィクは頭を撫でたり猫目に袖を当てたりして、懸命に猫を慰める。
耳も尻尾も見たこと無いほどしょげており、そんなにパンツが気に入らなかったのかと、少し罪悪感が沸いた。

「ゴリゴリしない、締め付けないパンツならいいの?」

まるで首振り人形のようにイクスは何度も頷いた。

「ぱんつは、座ったときとかに、痛くないようにする大事なものだって…
 ごりごりしないぱんつもあるって…それなら、わたしつける…ぱんつつけたら、ヴィクも、もう、ご、わ……」

思い出したのかまた顔がくしゃりと崩れ、ひゃっくりのような泣き声が漏れ出した。
喧嘩したときにも驚いたが。食べるか寝るかしか興味のない猫だと思っていたのに、こんなにも泣けるほど感情豊かだったとは。

慣れない場所で、人知れずストレスを溜めていたのかもしれない。
周りのことなどどうでもよさそうに見えていたが、食事中であろうとコンヴィクの話に
熱心に耳を傾けたりと、彼女なりにこの環境に適応しようとしていたのだろう。

「ふわふわぱんつ、あるよ。」
「……本当?」
「ああ。だからもう怖がらなくていい。約束通り外に行こう。新しいお菓子も、たくさんあげる。」

潤んで涙を大量生産していた赤い猫目が見開かれ、強い輝きが宿り始める。
ペティコートやドロワーズあたりの型紙を代用にすればどうにかなる。
窮屈な下着を嫌がった時点で、こうすればよかったのだ。

「あたらしいの、たくさん?」
「ゴリゴリしたのじゃないと駄目だって思い込んでた俺に、君がそうじゃないって教えてくれた。
 怖がらせたお詫びと、気づかせてくれたお礼だ。とびきり美味しいお菓子をあげる。」

素晴らしい妥協案を持ってきてくれた彼女の腰を引き寄せ、抱き上げた。
突然のことにイクスはコンヴィクの首にしがみついて眉を寄せたが、自分の背丈では叶わない視界の高さに
すぐ釘付けとなり、落ち着かなくきょろきょろと周りを見回す。

「すごい!高い!」

嬉しそうに忙しなく動く猫の腰をしっかり支えながら、コンヴィクは頬を綻ばせた。

「そういえばイクス…ふわふわパンツがあるって、誰に聞いたんだ?」
「ふわふわぱんつの子が、ひみつっていってたから、ひみつ。」、
「そうか、秘密って言われたのか。」
「うん」

秘密の意味をちゃんと教えなかった相手が悪い。
また怖いと泣かれてはさすがにショックなので、気づかれないように一瞬だけ階段下に厳しい視線を飛ばした。
国王とその右腕しか出入りできないはずの扉が、開け放たれている。

イクスを慰め納得するような言葉を選んでくれたことは感謝するが、此処は王宮だ。
メイドですら容易に出入りできない場所に誰かが入り込んだ。これはあまり笑える事態ではない。
よもやイクスが攫われていたかもしれないと思うと、背筋がゾッとする。

緊張が抜けたのかきゃあきゃあ騒ぐ小柄な体をもう一度抱きしめ、コンヴィクそっと呟いた。

「イクスは、俺のこと好き?」

以前よりも随分おしゃべりになった猫は、少し首を傾げ、彼女らしい台詞で返した。

「お菓子くれるから、好きなほう。」
「…そうか。」

合格点だろう。どこぞの男に至っては、目を合わせれば問答無用で睨まれるほど警戒されているのだから。
餌付けは思ったよりも効果的だったらしく、コンヴィクは口端を上げた。
他人よりも少しばかり特別な位置。この優越感が、猫への愛しさを増させる。

「俺もイクスのことが好きだ。女の子をこんなにも可愛いと思ったことはない。」
「ヴィク!早く、ふわふわぱんつ!ふわふわぱんつで外行って、お菓子食べて、寝る!」
「わかってはいたけど、色気より食い気だな君は…。はいはい、ふわふわパンツね。
 とりあえずドロワーズを詰めたらなんとかなるか……。」

メイドからお下がりを募集した際に、ドロワーズも混じっていたのを思い出す。
まさか国王が手ずからリサイクルするとは思っていなかったのか、下着類は捨ててもいいくらいの
くたびれた物ばかりが集められていた。お下がりの募集は、メイドたちにしてみれば、体のいい不用品処分だったのだろう。
コンヴィクにとって、ウエストや丈を詰めることなど造作も無い。
他人の肌着をイクスに回すつもりは無く、レースやら使える部分だけを取り出す予定だったが、
彼女自身は『ふわふわぱんつ』であれば何でもいいだろうから、この際お下がりの恩恵に素直に与ることにした。

「よし、一度君の部屋に戻ろう。まだパジャマのままだしね。」

「ふわふわパンツ!」を繰り返す彼女を抱えなおし、コンヴィクは歩き出す。
今の猫はいつになく上機嫌だ。コンヴィクは細い腰と両足をがっしりとホールドし、荷物のように肩の上に乗せた。
逃げることは無いだろうが、下ろした途端はしゃぎまわって捕まらないような気がする。
落ちないようにとの心配ももちろんある。が、暴れるのはそれ以上に困る。無邪気に走り回れるほど、コンヴィクは若くない。

そんなジジ臭い彼がとある部屋を通ろうとした時だった。
まさに鼻先でドアが無造作に開き、同年代である男が顔を覗かせる。
寝起きなのかいつもより乱れている紅い髪を揺らしながら、不機嫌も不機嫌に、コンヴィクたちを見据えた。

「ああ、騒がせてすまない。もう上に行くから…」

一応気持ちを込めた詫びを入れるが怪訝な雰囲気は変わらない。
後ろ手でドアを閉めながら、そこが問題ではないと言わんばかりに目を細めた。

「なにパンツパンツ連呼してんのお前ら。」

ようやく私室から出てこれたらしいロイスが、呆れた表情で上司の頭を軽く殴った。




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