来る者拒まず、去るもの追わず。それがロイスの信条だ。
だがそれはあくまで街中での話で、間違っても城の人間に手を出したりしない。
もちろん、私室に女を連れ込むなど、これまで一度も無い。

つまり王であるコンヴィクが仕事をさぼれば、一応補佐的立場にあるロイスにも影響があるわけで、
片付かなければ城内どころか隔離された王宮からも出れないわけで、そうなると当然城下町に下りれるわけも無く、
ベットのお供が書類という色気もへったくれもない、悲しい缶詰生活となる。

原因は分かっている。色んな意味で主夫な上司の父性本能をくすぐる、猫のような小娘が来たからだ。

想像していたし、そうなるだろうなと、覚悟もしていた。
すでに猫が来る前から、コンヴィクの離れへの逃亡がよくあったのだ。拍車がかかることは必然である。
案の定猫に構いっぱなしの国王陛下は、いやらしくも当日決裁の重要書類だけを仕上げて、残りの公務を部下に丸投げした。
締め切り間近の物だけを仕上げられても困る。
他にも大切な仕事は山ほどあるのだ。
この国を動かしてるのは、実はコンヴィクではなく自分なんじゃないかという、そんな錯覚に襲われても文句は言えまい。
そんなわけで、ここ数日のロイスは寝床と机の往復という、若者にあるまじき軟禁生活を送っていた。

もうボロボロである。とりあえず人間の義務ということで風呂と食事だけはしっかり取っていたが、
三大欲求のひとつ、睡眠が、圧倒的に足りない。何度バスタブに沈みかけたことか。
昨夜は疲れもピークで、もういい、仕事なんか知るか、明日全部押し返してやると下克上の誓いを胸に、ベットに身を投げた。
掛け布団を体にかける気力も無く、眠気に誘われるままに重い瞼を閉じる。

あまりに疲れきっていたロイスは、私室に忍び込んできた影に、気づけなかった。

影は小さな足音を立て、そろそろとベットに近づく。
深い眠りに落ちているロイスの肩を軽く、しかし何度も揺すったが、彼が起きる様子はない。
ロイスとしては一応意識は浮上していたものの、いかんせん身体が重すぎた。
殺気でも感じればどうにかするが、そんな空気は全く無いため、好きにすれば良いと影を放置していた。

ろいすさま、と、影は舌足らずな言葉を繰り返す。
まるで例の猫のようだと思った。もっとも、犬猿の仲である彼女が部屋に来るはずないが。

「ろいすさま、わたしを抱いてください。」

随分唐突な誘い文句だ。もうちょっとこう、雰囲気作りとか、何かないのか。

絶対的なセキュリティがあるこの王宮に、どうやって、何の目的で入り込んだのか。
いつもなら二つ返事で引き受け、ついでに色々と吐かせてやりたいところだが、不審者を前にしてやはりロイスは動けなかった。
殺気は無いし、何かを探るような様子も無い。本当に、抱かれにきただけらしい。

「ろいすさま」
「………も、ちょっと…ひと…えらべ……」

尚呼びかけてくる影に、ロイスは辛うじて声を搾り出した。

「そういうの…彼氏に、しとけ……」

時々、こう言う女がいる。「あなたは警戒心が強い」と。
無理難題膨大な仕事に文句を言いながらも、それでもどうにかしようとするのは、他でもない、コンヴィクのためだ。
彼はやっと今、好きなことができている。それを仕事であろうと邪魔させたくはない。
間違っても本人の前で言いたくはないが、ロイスにとってコンヴィクは無くてはならない存在。
受けた恩を返したい。だから、他の人間が入り込む余地は、今のところ皆無である。

だから勘付く女からは、静かに離れるようにしている。
恋路よりも恩義を優先しているような男に、良い女の時間を使わせるのはもったいない。
彼女たちの器量ならすぐに出来た男を見つけられるだろう。自分のために何かを割かせたくは無いのだ。

抱けと言うわりには、影はベットに潜り込むような強引さも見せない。
何か、理由があるのかもしれない。瞼を閉じたまま、ロイスは静かに相手の出方を待った。

部屋に沈黙が流れる。夢うつつのせいか、相手の息遣いさえ聞こえない。
眠気のせいで感覚が鈍っていて、もしかしたらもう出て行ったのかもしれない、自分はそれに気づいてないのかもしれない、
そんなことをロイスはうつらうつらと思いながら寝返りを打った。

その時、身体が、ふっと暖かくなった。

まぶたを閉じたまま手探りしてみれば、それはロイスが愛用している毛布。
あまりにもだるくて広げる気になれなかった毛布が、肩から足先まで、まるで親が子供にするように、
丁寧にロイスの身体を包んでいく。

…誰がこんなことを。
一瞬疑問に思ったものの、今この部屋でそんなことができるのは一人しかいない。

「……かぜを、ひいてしまいます…」

夜這いに来たはずの侵入者は何を考えているのか、言い訳のような独り言を呟きながら、目的とは正反対のことをしていた。

(なにしてるんだ、こいつ)

夜這いにしては稚拙だから、諦めるとばかり思っていたのに。
表面上は眠ったままだったが、予想外の出来事に内心動揺してしまう。

「いつも、お疲れさまです。…おやすみなさい、ろいすさま。」

影はしばらくじっと息を殺していたが、ザリ、と、絨毯と靴が擦れる音が響いた。
ロイスを起こさないようにそっと遠ざかる、小さな足音。
音の軽さから体躯は小柄だと判断できたが、ロイスがまともに考えられたのはそこまでだった。
侵入者への緊張感でなんとか理性を繋いでいたのだが、居なくなったことへの安心と、
なにより魔法のような毛布の温もりで、意識が一気に睡魔へと沈んでいく。

侵入者とも呼べない、不思議な訪問者。

そんな感想を最後に、ロイスは夢の世界に旅立った。





「…で?」

笑顔で先を促してきた上司に、ロイスは曖昧な曖昧な笑みを返す。

「……いや、終わり。」
「やすやすと私室への侵入を許した挙句、正体を確かめずそのまま逃した。…なんて報告を俺が喜ぶと思う?」
「いやそもそもお前が仕事押し付けてこなかったらこんなことには」
「お前がしたことといえば、眠気に負けて戯言を抜かしただけじゃないか。職務怠慢だ。減給。」
「いやだからお前が仕事してれば、俺はへばらなかったんだよ!つうか俺の唯一の癒しに手を出すなぁぁ!」

昨夜の件について、良い顔をしないというのは分かってはいたが、報告しないというのもそれはそれで後が怖い。
己の失態を認めた上での、それこそ恥を忍んでの告白だというのに、自分の非を棚に挙げての暴挙にロイスはたまらず叫んだ。
身を削るように働いているというのに、この仕打ちはあんまりだ。

「そういうお前こそ、なんで俺の癒しの時間について来たんだ。嫌がらせ?」

知る人ぞ知る、離れの中庭。雑草を刈る以外、ろくに手を入れられていない、何処までも味気の無い大きな庭で、
走ったり転んだり草を毟って虫を見つけて驚いたり、なんとも奔放に猫が遊んでいる。
ベットの上でじっとしている姿しかロイスは知らなかったので、こんなにも動き回るとは、少々意外だったが。

こちらも好き好んで、大して好きでもない奴のはしゃぐ姿を見に来たわけではない。
上司の了解を得たのならとっとと立ち去りたい。即行。今すぐにでも。

「よく言うぜ。その癒しが俺の血と涙と汗の結晶だってこと、忘れんなよ。」
「ロイスの汗って…うわぁ…」

げんなりした彼の手元には、サンドウィッチの入ったバスケット。
飲み物をご丁寧に数種類用意している主夫ぶりに、こっちこそ「うわぁ…」である。

「…俺はその、お前のはしゃっぎぷりに引くわ。」

もはやドロだらけな猫が来ているワンピースも、コンヴィクがせっせと作った渾身の作品だ。
そうか、あの服のせいで俺の休みは潰れたのか。
はらわたが煮えくり返るが、どうせ何を言っても聞きやしない。

「しっかし、どういうことだろうな。我が家には最強のセキュリティがあるってのに。なんであの女を王宮に通したんだ?」
「ロイスの女関係だからなあ…空気呼んだんじゃない?」
「俺は後々ややこしくなることはしねぇよ。つうか余計なお世話。」

うーん、とコンヴィクはわざとらしく首を捻る。
こういう態度の時、大抵真面目には考えていない。恐らく奴の頭の中は目の前のペットに夢中と見た。

「害は無いと思ったんだろ。それか、通したくなるような同情的余地があったか。」
「夜這いと同情は一致しねぇだろ…。」
「今風呂掃除しているはずだし、聞いてみたらどうだ?職務怠慢と言えば、彼もそうだから。」
「そうだよな…そもそもあいつが通さなければ、減給なんて理不尽にも見舞われなかったんだ…」

国王はこの件に関してあまり重要視していないようだ。
ならばこれ以上掘り下げるのは無意味と判断し、ロイスは腰を上げた。

「お前も、そこそこで戻って来いよ。で、仕事進めてくれ。できれば性急に。」
「なんだ…締め切りを破ったことはないだろ?」
「破らなければいいってもんじゃねぇんだよ国王様…」

「イクス〜ご飯だよ〜」なんて能天気な笑顔を振りまく男の頭を、思いっきりぶん殴りたくなる。
ついでに仏頂面ながら「ごはん、ごはん」と期待に顔を赤らめてこちらに走り寄ってくる、
自由すぎる猫の頭も殴り飛ばしたい。これも、後が怖いが。

「ヴィク、すくらんぶるえっぐは、たまご!」

たどたどしい言葉遣いだというのに、どや顔でびしいっと手を上げる猫。
…こいつの知識は食べ物しかないのか。
問題の教育係を見やると、親バカも親バカ、国民には見せられないほど緩みきった顔をしていた。
この時、ロイスは昨夜の誓いを新たにした。絶対に、口が裂けても、恩人などと呼んでやるものか。

「サンドウィッチは?」
「さんどうぃっちは、ぱん!」
「よくできました。ほら、たくさん食べなさい。」
「………。」

別に、猫の将来など、知ったことではないが。
コンヴィクの教育では、大切な何かを置いてけぼりにするような気がする。偏っている。
例えば常識とか。遠慮とか。常識とか。

「なあ、ヴィク…」
「邪魔するな。」
「ヴィクさん!新しい教育係はいつ着くんですかねぇ?!」

冷たくシッシッと追い払ってくる親友に、ロイスはしがみついた。

「さあ?彼女は気まぐれだから。」

しかしコンヴィクは、イクスの頭を撫でながらしれっと言い放った。

「気まぐれって…おい、まさか、お前、
「嫌だな。気まぐれってだけで、ルビーとは限らないじゃないか。」
「はは、そうだよな…」

めくるめく昔の記憶を無理矢理振り払うロイス。
才色兼備ながら唯我独尊。派手好き刺激大好きあの破天荒女王様に来られては、たまったものではない。
今でさえ平和と言い難いのだから、これ以上の気苦労は、本当、遠慮願いたい。

「ま、ぶっちゃけルビーが来るんだけどね。」

彼女=あの子=女王様=ルビー。
正式な名前は、ルビリア・クロクムム。

この国と同じ三大王国のひとつ、クロクムムの第一王位継承者。なのだが、能力も人望も余りあるというのに
「だってイケメンが少ないんだもの。」という本気か冗談か(恐らく8割本気)そんな理由で妹姫に王位を譲った(押し付けた)、
とにかくロイスにとってあまり関わりあいたくない、色々ぶっ飛んだお方である。

「るびー?」
「ああ、イクスを助けてくれる女の人だよ。他国のお菓子を買ってきてくれるってさ。」
「あたらしいお菓子…くっきー?びすけっと?」
「チョコレートっていう、甘くてとろけるお菓子だ。きっとイクスも気に入るよ。
 …って、あれ?ロイス、何処に行くんだ?」
「俺は旅に出る。今までお世話になりました。」

身を翻しその場を立ち去ろうとする護衛隊隊長の白い軍服の裾を国王は容赦なく踏ん付けた。

「駄目だ…ロイスがいなくなったら、俺はどうしたらいいんだ…?!」

見事にすっ転んだ部下の悲劇を尻目に、踏ん付けたままコンヴィクは大げさに頭を振って、さも悲しそうに眉を寄せる。
行かないでくれ、俺には君が必要だ、そんな歯が浮くような台詞を一通りのたまった後、
踏ん付けている裾の上に湯気の立つコップを乗せた。

「執務が滞ってイクスと遊べなくなる…そんなの、困るんだッ!」
「せめて俺の目を見て言え。あと熱々の茶が入ったコップを早くどけろ。おいコラ!猫!つつくな!」

猫から全然目を離さないって、どういうことだゴルァ。
視線で噛み付くと、やっと彼のほうを向いたコンヴィクは、それはそれは、綺麗な笑顔を浮かべた。

「ほーらイクス、新しい遊びだよ〜。どれだけつつくと倒れるかな?」
「たおれたら、どうなるの?」
「ロイスが熱さでのたうち回る。」
「……。」
「なに期待した目してんだてめぇぇぇ」

悪魔だ!悪魔がここにいる!
動けず草を掻き毟っていると、当のイクスが腹が立つほど憐れんだ表情を作った。

「ヴィクはこわい。逆らわないほうがいい。」

それは彼と付き合いの長いロイスは、それこそ、よくよく知っていることだったが。
まさかその台詞が、怖いもの知らずに見える彼女から出てくるとは予想外で、ロイスは思わずコンヴィクを凝視した。

「お前。猫に何したんだ。」
「何って…しつけ?」

しつけと言う割には、いじめっ子のような悪い笑顔だ。余計な所に影が差している気がするのは気のせいか。
べたべた甘やかしているだけかと思っていたロイスは、猫に少なからず同情した。
この男は何でも許してくれそうに見えて、いきなり手の平を返してくることがある。
何も知らず油断していた猫にとって、それはもう驚いたことだろう。その結果、怖がられるのは致し方ない。

「……とにかく、茶を早くどけろ!俺は昨日の女のこと聞きに行きたいんだよ!」

忠告してやればよかったかと思う反面、猫がこちらの言うことを素直に聞くとも思えず、ロイスは不毛に考えることを止めた。
今はそんなことどうでも良い。痴話喧嘩にかまっている暇など無い。

「おんな?」
「ロイスの部屋に、知らない人が入ったんだって。間抜けだね。」

首を傾げた猫に、コンヴィクはまるで他人事のように茶化した説明を披露した。
職務怠慢、減給ときて、極めつけは間抜け。いや確かに、その通りではあるけども。
悔しいが言い返せない、そんなロイスの気持ちを知ってか知らずか、猫はさらに首を傾げた。

「しらない人なの?となりの部屋だから、しってるんじゃないの?」

それなりに体躯のある男2人の動きが、止まった。
突然凝視され、驚いたイクスは口を引き結ぶ。

「…イクス。その、俺たち以外の人間を、見たのか?」
「うん。ふわふわぱんつの子。この男のとなりの部屋にはいったから、この男の仲間。」

彼女曰く。例の「ふわふわぱんつ」を伝授してくれた子は、階段下の扉を潜らず
迷うことなくロイスの隣室に消えたから、彼の仲間かと思ったらしい。
気に食わない男の仲間にしては、感じの良い、話の合う女の子だったと。

「みどりいろで、かなしそうにしてた。かなしくないって言ってたけど、ずっと下みてた。」

イクスと同じような、けれども少し形の違う白く長い耳が、「ふわふわ」の頭から突き出た、不思議な女の子。
同じ目線のその子は、最後に「私がここにいたことは言わないでください。ひみつです。」と小さな声で嘆願した。

「同じ目線ということは…小柄な女の子…」
「おいおい。…昨日来た奴も、小柄だったんだけど。」
「…同一人物ってことか?」

扉が開いていたから、てっきりそこから逃げたのかと思っていたが。

「まだ…部屋にいるかもしれない。」

それはコンヴィクの憶測に過ぎなかったが、ロイスは知らず息を飲んだ。
ロイスに追い返された昨夜から、王宮に留まりつづけているのか。一体、何のために。
それに、隠れているのなら何故、イクスの前に姿を現し、声をかけるという危険を冒したのだろう。

『……かぜを、ひいてしまいます…』

寂しそうな、消えそうな、声色。
ロイスは裾の重石も忘れ、慌てて立ち上がった。

「っ! 捕まえるぞ熱ぅ       !!




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