君に花を




本当は穏やかな性格だったらしい。
暴れたのは後にも先にもあの一回きり。寝たきりから身体を起こせるようになっても、彼女は大人しかった。

「ん?これか?」

ハルルの花に似せた小さな蒸し饅頭を渡してやると、少女の瞳が輝く。
何か視線を感じると思ったらこれが気になっていたらしい。「ひとつやるよ」と笑って手渡してやると、さらにきらきら光った。
最初は何をするにも反応が薄く、苦労したのを覚えている。
しかし、時間を重ねるごとに徐々に、色々な変化を見せるようになった。
どんどん本来の彼女らしさを取り戻していっているようで、目に見える回復ぶりがとても楽しい。

大家である箒星のおかみさんに事情は話してあるが、少女の世話を主にしているのはユーリだ。
年端もいかない女の子をひとり残すのはさすがに抵抗があり、できるだけいつも少女の傍にいれるよう努めている。
おかげで牢屋に入る回数も減り、あのユーリが丸くなったと、最近下町でもっぱらの噂となっていた。

ユーリにとって下町が家族のようなものだが、彼女はまた別の存在だ。
増えていく表現の一つ一つが、なんとも言えない気持ちを生む。妹がいればこんな感じなのだろうか。

『ありがとう』

小さな饅頭をぺろりと平らげ、少女はお辞儀をした。
いつも事あるごとに頭を下げて「ごめんなさい」「ありがとう」と口にする。
透明な声だけれど、彼女の表情を見れば大抵のことはすぐにわかる。
足の怪我が酷く、歩けない彼女ができることはそう多くない。それでも素直に感謝の気持ちを示し、いつだって笑顔を絶やさない。
今できることを精一杯やろうとするその姿は、心配こそすれど、とても好ましと思う。

「甘いものが好きなら、また買ってきてやるよ。」

白湯から始まり、最近ようやっと普通食を食べれるようになった。
最初は白湯でも一口二口が限界だったのを思うと、こうやって間食におやつを食べれるようになったのは、大きな進歩だ。
まだ味の濃いものは無理だが、この調子なら約束の特製コロッケを作ってやれる日も、そう遠くはないだろう。

「どうした?」

袖を引っ張られ顔を向けると、嬉しそうな彼女が言う。

『ありがとう うれしい』
「…どういたしまして。」

この読唇術みたいなやりとりも慣れたものだ。口を動かしているところをみると後天的に声を失ったようだが、
ユーリは深く追求していない。声を聞ければ嬉しいがゆっくりでいい。急ぐ理由などない。
この彼女独特の雰囲気が、存外ユーリのお気に入りだった。
ふんわりとした笑顔を見ると心が温まる。本当に幸せそうに笑うから、こちらも嬉しくなる。

本当に無茶できなくなったと思う。用心棒をして生計を立てていると言ったとき、
とても心配そうな顔をしていたのが記憶に新しい。
もし怪我でもすれば悲しませてしまう。それはできるだけ避けたかった。

…もう二度と、あんな思いはしてほしくない。

詳しいことは何も聞いてない。名前さえまだ知らない。
けれど、とても良い子だというのは、この数ヶ月でよく分かった。
テッドとそう変わらない年頃なのだから、もっと無邪気でいていいはずだ。

『……?』

ふと、少女が窓に目を向けた。
どうしたと問う前に、開けた外から騒がしい声が響く。

「税を……!払…、…!」
「この前も…、……ッ」

少女のためいつまでも平穏でいてほしかったが、やはりいつまでも、そういうわけにはいかないようだ。
凸凹コンビの声ではないので恐らくキュモール隊だろう。毎度毎度ご苦労なことだ。
ユーリは重い腰を上げ、安心させるように少女の頭を撫でた。

「やれやれ、相変わらず空気読まねえのな。」

余計なものが聞こえないよう窓を閉め、横に並ぼうとしたラピードを制した。

「こいつを頼む。…ちょっくら行ってくるわ。」

見上げる黒水晶の瞳が不安そうに揺れている。怖がるのも無理はない。
下町はいつだって騒がしいが、そういえばここ最近争いごとは起きていなかった。

「心配しなさんな、すぐ戻るさ。」

ここのところご無沙汰だった得物を取り、ひらひら手を振る。
それでも、彼女の影は晴れない。
ドアが閉まる直前までずっと、口を引き結んでユーリを見つめていた。

(……悪い)

悲しませたくない。その気持ちに、嘘は無いけれど。



とっとと戻らないとな。そう思うものの、キュモール隊は粘着質で面倒臭い集団だ。
とりあえず口で追い返そうと根詰めていくが、話を聞く耳すら持たない。
仕方なく適当に相手をしてやるが、暇なのか無駄に数が多くて、時間ばかりとられる。
揉めていた下町連中から標的が移るように挑発して、し続けた甲斐あって、短絡な騎士たちはユーリばかり狙うようになった。
頃合いに「あいつを頼む」と宿屋のおかみに一言かけた直後、手加減なしの殴打に意識が飛んだ。
何度目か分からない牢屋行きだが、まあ2日もすれば出れるだろう。上出来だ。一件落着。

窓から泣きそうな顔で少女が見下ろしていたとは知らず。
ユーリは城まで引きずられていった。



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